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8:記憶の作品を訪ねて

3歳ごろ。
テレビの前には祖母の姿がいつもあったので、チャンネル権は事実上、祖母が握っているような状態だった。

誤解されそうなので最初に断っておくが、べつに「好きな番組を観せてもらえなかった」というような、幼少時の恨み言を書きたいわけではない。
当時の実際のところ、思っていたことなどを書き記しておきたいだけである。

そういえば、祖母は「リモコン」と言わず、いつも「押すもん」(※「指で押すやつ」の意)と呼んでいた。
そのため、幼少の私はリモコンのことを「オスモン」と認識していたところがあると思う。オスモンとはつまりポケモンの先祖である(違う)。


テレビという存在

私は、自分から祖母に「◯◯が観たい」と言ったことは、ほとんどないような気がする。言ったとしても、かなり決心をして伝えていたはずだ。
姉はどうだったのだろう。自分の観たい番組を、頼んで観せてもらっていたのだろうか?

3歳ごろの私は、そもそもどんな番組が放送されているのかをまるで知らなかった。週に一度、同じ番組が放送されている、ということさえ知らなかった。
だから「あれを観たい」という願望を抱きようがなかった、ということもあるだろう。

ある程度歳を重ねると、同世代とテレビ番組の話が合わないことがわかってくる。
同世代の多くが物心つくころから観て親しんだものを、私はほとんど知らない。
自覚していなかったが、小学生くらいになると、それが次第に実感とともにわかってくるのだ。

知り合ったばかりの相手でも、思い出のテレビ番組の話が合うと、急に仲良くなったりするものだ。
世代や時代によっては、それが野球だったり漫画だったり、映画や音楽だったりゲームだったりするだろう。
小学生低学年のころの私は、テレビ番組を知らないので周囲の話に乗れない。ついていけないので、話題からはずれて結局、独りになる、ということがよくあった。

同世代と共通する話題をまるで知らないというのは、当時の子供社会においては、なかなかに哀れなものだったのだ。
テレビを観て育ったような子供たちのなかに、ポンと放り出されるわけである。
よく観ていたテレビ番組の定番のネタなどで盛りあがられても、私にはなんのことかわからない。

たとえばウルトラマンやゴジラ、ガンダムなど。
まさに同世代では定番中の定番だが、これらが放送されていたことも、当時の私は知らなかった。
ドラえもんや仮面ライダーは姉が好きだったこともあって、触れる機会がわりとあり、物心つくころから知っていたのだが。

つまり幼き日の私は、自分から情報を取りに行くことを知らなかった、ともいえる。
そこに「選択肢がある」ことさえ、知らされていなかったのだ。
それゆえに、4つ離れた姉が外から持ち帰る情報が、新たな興味の対象となることは多かったと思う。

3歳の私と祖母の時間。基本的に祖母が観る番組が映し出されているわけで、それらは到底2歳~3歳の子供が興味をもつ内容ではなく、ゆえにテレビ自体にあまり興味をもっていなかったともいえる。

そんななか、ときどき祖母が観せてくれていたのは、いま思えばすべて教育番組だった。
ジャッジをして「この番組は教育に悪そうだから観せない」という方針もあったのかもしれない。

ある程度、意図的に「子供がテレビに興味をもたないようにしていた」ということも考えられる。
現在でいうところの、スマホゲームのような位置づけだろうか。
「ゲームは1日1時間」というキャッチフレーズが、当時の親世代に歓迎されて多用されたことからもわかるように「幼児のころから過度に熱中するものを与えるべきじゃない」という価値観はおそらく、どの時代にも存在するものだと思う。

小学2年生くらいまで、とにかくこの「同世代が親しんでいた、かつてのテレビ番組を知らない」ということが、そこそこのコミュニケーションの壁になった。
誰かと少し仲良くなりかけても、共通の話題がある相手のほうへ行ってしまう。そちらで話が盛りあがり、もう戻ってはこない。
いま思えば、だからどうした、というところだ。
たかがそのくらいのことで去っていく相手なら、いないほうがマシだ、という言葉も、いまだからそう言える。

けれども当時は、いまよりもずっと子供の世界が狭かった。
インターネットもない。当然スマホもない。徒歩圏内に本屋もなかった。
だからこそ、共通の話題となり得る「テレビ番組」の話題が強かったのだ。
その次が「ファミコン」を筆頭としたゲームの話題だろう。

幼稚園のころは、まだテレビの話題などは関係なかった。
問題は、小学校に通いはじめてからだ。
「テレビ番組ネタ」でコミュニケーションがとれない私は、否応なしに独りにならざるを得なかった。
自分の知らない番組でみんなが盛りあがっているところに、べつの話題で割って入るような無謀さは、もっていなかったのだ。


そして私は、教室で絵を描くようになった。


幼稚園で渡された「自由になんでも描いていいスケッチブック」は、ついに白紙のまま卒園していた。
「せっかくの綺麗な紙を、自分の落書きで汚したくない」と思っていたのだ。

それが、小学1年生となり、自由帳に絵を描くようになった。
はじめは、退屈しのぎだったのかもしれない。
あるいは独りを味わいたくなくて、家で姉と描いた『ドラえもん』に現実逃避の気持ちを託したのかもしれない。

やがて、前の席のクラスメイトが私の絵に気づき、授業と授業の間の休憩時間に振り向いて絵を見るようになった。

ドラえもんの絵を描けば、見てもらえる。喜んでもらえる。
仮面ライダーやマリオなども描いた。

絵が、途切れた私のコミュニケーションをかろうじて繋いだのだ。

テレビ番組を知らなかったおかげで「絵を描く」という道に、一歩踏みこむことができたのかもしれない。いまは、そんなふうに思う。
私にとっては、絵を描くことが、狭い子供社会で生きるための手段だったのだ。

長くなりそうなので、この話はいずれまた書くとしよう。

***

ともあれ、昔のテレビ番組の記憶というものは、わりと思い出深い人も多いんじゃないかと思う。

noteで連載しているこの『隠者の手記』の記事を書いていくにあたって、時系列の確認のために、テレビ番組の放送時期も参考にした。

私が3歳くらいまでに放送されていたテレビ番組などを確認してみると
「この番組はこの時代にはじまったのか」
「生まれる前なのに知っているのは録画があったからか」
「世代が違うけど知っているのは姉の影響か」
「知らなかったけどこの時期にやってたのか」
「チラッと記憶に残っているあの番組はこの期間か」
……という、いまさらともいえる発見や感慨深さもあった。

今回は、そういった番組をここに並べてみようと思う。
せっかく調べたんだから記事に使っておこうという魂胆である。

***

いきなり話はそれるが、私は『おかあさんといっしょ』などの、お遊戯的コーナーがとんでもなく苦手だった。
歌のお兄さん、お姉さん的な大人がいて、その周囲を幼児がわらわらと歌い踊る。
うまく言い表せないが、幼いころからそういう子供の様子を眼にするのが苦手で、運動会などでお決まりの演目として行われるお遊戯的コーナーも、心底嫌で仕方がなかった。いま思い出しても苦痛である。
自分だって子供だったくせに、と言われるかもしれないが「子供のことが苦手な子供」だっているのだ。大人のあなたに苦手な相手がいるのと同じように。

運動会のお遊戯コーナーで、いまだに母が言うのは「みんなと同じようにやっていれば目立たないのに、嫌々やっているから目立って、どこにいるのかがすぐにわかった」という思い出話。
避難訓練のように、意味や目的が提示されている内容ならともかく、意味が曖昧な集団行動的なものは、いまでも本当に嫌でたまらない。
その延長線上にあると感じるレクリエーションやクラス合宿のような催し、強制参加の職場の飲み会、内容の薄っぺらい研修や、実りもなくただ開かれる会議などに対する苦手意識はかなり強い。
時代が時代なら、舌を噛んでいたかもしれない。


記憶の番組など

話を戻そう。

というわけでここからは、私が生まれる以前に連載されていた漫画、放送されていたテレビ番組をはじめ、誕生から3歳までに世に登場したゲームを含む各作品のなかから、個人的に記憶にあるものを列挙していこうと思う。
あくまで備忘録的な意味合いで、せっかく調べたから載せておくか、という程度のまとめになる。
ここを読んでくださっている、あなたの記憶と通じるものがあれば幸いである。

これまでに描いたイラストや、用意した画像などがある場合はそちらも合わせて掲載しよう。せっかくだし。


・漫画:オバケのQ太郎(1964年6号~1966年51号)

オバケのQ太郎 / Q太郎

なぜか家にコミックスが数冊あって、幼いころに繰り返し読んでいた。
買ったものだったのか、貰いものだったのかは不明。
Q太郎のこの外見が「服」だということは漫画で知った。


・漫画:パーマン(1967年2号~1967年44号)
・書籍:くまの子ウーフ(1969年)

パーマンは、原作もアニメも一度も観たことはないのだが、キャラクターとして幼いころの印象には残っていた。
くまの子ウーフは児童向けの小説で、文庫本を読んだのは小学校低学年だった気がする。こんなに古い作品だったということを今回はじめて知った。


・番組:できるかな(1970年4月8日~1990年3月9日)

できるかな / ゴン太くん

先日、この番組でノッポさんを演じていた高見のっぽさんが亡くなられたというニュースが。私は前述のチャンネル権の都合もあって、それほど番組を観る機会が多くなかったものの、工作の楽しさを知るキッカケになったのは間違いないと思う。


・番組:仮面ライダーV3(1973年2月17日~1974年2月9日)
・番組:仮面ライダーX(1974年2月16日~10月12日)
・番組:仮面ライダーアマゾン(1974年10月19日~1975年3月29日)

このあたりの仮面ライダーは、家にあった録画ビデオで数話だけ観たことがあった。というか、放送期間がここまで矢継ぎ早で、完結したと思ったら翌週には次のシリーズがはじまっていた、ということを知っていまさらながらに驚く。


・番組:まんが日本昔ばなし(1975年1月7日~1994年9月24日)
・番組:仮面ライダーストロンガー(1975年4月5日~12月27日)

まんが日本昔ばなしのオープニングで、龍の背に乗っている「坊や」の白い顔を気味悪がり、怖がっていた記憶がある。
仮面ライダーストロンガーも録画したものが数話だけあって、小学校低学年のころに繰り返し観ていた。


・番組:クイズダービー(1976年1月3日から1992年12月19日)

この番組といえば、祖母を思い出す。
大橋巨泉さんが司会で、いつも祖母が観ていた。


・漫画:エスパー魔美(1977年~1978年まで連載し1983年最終回)

エスパー魔美 / 佐倉魔美×コンポコ

アニメのイメージが強く、原作がそんなに前に完結していたことを知らなかった。シリアスめの展開が多かった印象。


・漫画:あさりちゃん(小学二年生/1978年8月号~2014年3月号他)

あさりちゃん / 浜野あさり

こちらも『オバケのQ太郎』と同じく、コミックスが数冊だけ家にあった。


・漫画:うる星やつら(1978年39号~1987年8号)

うる星やつら / ラム

こちらもコミックスが数冊、家にあった。アニメは観たことがない。
最近になってアニメのリメイクもされている人気作品。


・書籍:それいけズッコケ三人組(1978年)

児童向けの小説。読んだのは小学校低学年くらいだったと思う。
結構古い作品だったことを改めて知った。


・番組:新トムとジェリー(1970年代後半/その後たびたび再放送)

小学生のころの夏休みなどに観たことがあったのは、どうやら再放送だったらしい。


・番組:ドラえもん(1979年4月2日~2005年3月18日)

ドラえもん

大山のぶ代さんが声を担当された期間の『ドラえもん』世代。
コミックスも家に数冊あり、よく姉と一緒にアニメも観ていた。


・番組:にこにこぷん(1982年4月5日~1992年10月3日)

着ぐるみキャラクターの声を、耳馴染みのある3人の声優が担当されていたこともあって、印象に残っている。
じゃじゃまる(声:肝付兼太さん…旧ドラえもんスネ夫役など)
ぴっころ(声:よこざわけい子さん…旧ドラえもんドラミ役など)
ぽろり(声:中尾隆聖さん…ばいきんまん役など)


・漫画:ときめきトゥナイト(1982年7月号~1994年10月号)

「りぼん」で連載されていた漫画で、姉がこの作品のコミックスを持っていた。私が姉から借りて読んだのは92年以降だと思われる。


・番組:世界まるごとHOWマッチ(1983年4月7日~1990年4月5日)

この番組も、祖母の記憶とともにある。
幼少期に「HOWマッチ」という言葉を知らずに「はるまっち」と言ってしまい、姉に笑われていたことを思い出す。


・番組:おーい!はに丸(1983年4月13日~1989年3月8日)

おぼろな記憶に残っているキャラクター。
幼児向けのキャラクターに埴輪はにわをチョイスするというのはどういうセンスなのか。節穴のように黒い眼が、幼心に怖かったというか、ちょっと気持ち悪かったことを覚えている。


・ゲーム:ファミリーコンピュータ発売(1983年7月15日)

ドンキーコング / ドンキーコングJR.
ポパイ

私の記憶にも、人生にも大きく関わってくる「ゲーム」というジャンル。
そのなかでも世界中で大ヒットした「ファミコン」が登場したのがこの時期。
本体と同時に発売されたのは『ドンキーコング』と『ポパイ』だったらしい。


・番組:たんけんぼくのまち(1984年4月9日~1992年3月2日)

この番組をよく観ていたという同世代は比較的多い。
私もこの番組の「今回の出来事を大きな1枚の絵に描いてまとめる」演出がすごく好きだったのだが、いつ放送されているのかといったことを知らなかったので、結局片手で数えるほどの回数しか観たことがなかった。
それでもよく覚えているので、サササッと描かれていくイラストに惹かれていたのだろう。


・映画:ネバーエンディング・ストーリー(1985年3月16日公開)

ファンタジー映画の金字塔、なのかどうかは知らないけれど、この時期に放映されたのか、と今回はじめて知った。
放映から時を経て、私が小学校低学年のころだったか、休日の昼にテレビで放送されていた。作品の世界観に惹きつけられた私は続きを観たかったのだが、法事かお彼岸か、あるいはお盆だったのか「もうお寺に出かける」といって、食い入るように観ているテレビをプツリと消されてしまったことをいまでも覚えている。
結局、いまだに観ることができていない作品。
ファンタジー小説を書いている身としては、一度くらいは観ておきたいと思っているのだが。


・番組:それいけノンタック(1985年4月8日~1992年3月9日)
・番組:いってみよう やってみよう(1985年4月9日~2004年3月15日)

幼児向け、あるいは児童向けの教育番組。
ノンタックは「おでこの眼鏡でデコデコデコリーン」というのがお決まりの台詞だった。
「のぞみ」という名の同級生を「のんたくさん」と呼ぶキッカケになった番組でもある。
いってみよう やってみよう、のほうは番組名をまったく覚えていなかった。冒頭で「ぱぴぷぺポッケ~」と、その日の内容に沿った歌詞で歌いながら登場する人形劇のサルが出てくる、という印象が強すぎて、内容もほぼ覚えていない。


・漫画:ねこ・ねこ・幻想曲ファンタジア(1986年6月号~1992年11月号)

「りぼん」で連載されていた漫画で、姉が雑誌を読んでいたころに少し読んだ。私が読んだのはおそらく92年ごろで、こんな時期から連載されていたんだなと知った。


・雑貨:SDガンダム発売(1985年6月)

100円の「ガシャポン」で販売された、塩化ビニル製のデフォルメされたガンダム人形、通称ガン消し。この時期に発売開始されたらしい。
いろいろと思い出があるので、また改めて書こう。


・ゲーム:スーパーマリオブラザーズ(1985年9月13日)

スーパーマリオブラザーズ
スーパーマリオブラザーズ / マリオ
スーパーマリオブラザーズ / ゲーム画面

ゲーム史に残る『スーパーマリオブラザーズ』の発売。
最初に遊んだのは、かつて実家の隣りに住んでいた従兄のところだっただろうか。


・ゲーム:パチコン(ファミコン/1985年11月21日)

パチコン

この時期に発売されたソフトだったのか……と、妙な感慨深さを覚えた。
これについても、またいずれ書こう。


・番組:加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ
    (1986年1月11日から1992年3月28日)

ドリフターズのメンバー加藤茶さんと志村けんさんによる人気番組。
チャンネル権の都合でそんなに観ていたわけではないが、一度観ただけでも印象的なものが多かったと思う。
特番を録画したものが家にあり「松の廊下」で長い袴を引っ張るコントを何度も観た。


・番組:超新星フラッシュマン(1986年3月1日~1987年2月21日)

録画したものが家にあり、何度か観たことがある。
◯◯戦隊シリーズ的な特撮モノだったが、私にとってはちょっと印象が薄い。


・ゲーム:忍者ハットリくん(ファミコン/1986年3月5日)

忍者ハットリくん

こちらも、この時期だったのか……と感慨深くなったソフト。


・番組:スピルバン(1986年4月7日~1987年3月9日)

おそらく私が特撮モノで一番観た作品だと思う。
世間的にはあまり大人気ではなかったような印象ではあるものの、姉が好きだったらしく、全話ではないが録画がたくさんあった。
アニソン歌手としてもよく知られた水木一郎さんが主題歌を歌っていたが、主人公の父親役として出演もされていた。


・番組:銀牙-流れ星 銀-(1986年4月7日~9月22日)

銀牙-流れ星 銀- / 銀

アニメも放送されて人気だったらしい。
前回の記事でも書いたが、私は放送されていることすら知らなかった。
小学生の夏休みに再放送されていたのを、チラッと観たことがある。


・映画:天空の城ラピュタ(1986年8月2日公開)

印象に残っている宮崎駿監督作品。
テレビ放送時に一度観ただけでも、案外シーンを覚えているのでスゴいなと思う。改めてもう一度観たい気持ちはあるけれど、いまだに観る機会がない。


・番組:フラグルロック(1986年11月06日~1992年3月25日)

NHKで放送されていたアメリカ産の人形劇で、長年、本当に長い間、この番組のタイトルがわからずに、記憶に残る内容だけで探し続けていた作品。
ほんの数年前に、ようやくたどり着いた。
現在の大御所クラスの声優が多数吹き替えを担当されていたが、権利関係で再放送ができないらしい。なんとももったいない。


・ゲーム:ドラえもん(ファミコン/1986年12月13日)

ドラえもん

白いカセットの~で通じる人には通じるドラえもんのアクションゲーム。
このころに発売されたのか……と感慨深い作品のひとつ。


漫画やゲームなど、3歳の時点ではまだ触れていない作品も多い。
けれど、こうして発表時期を並べておくと、見返すときになんとなく記憶を補完してくれそうだとも思う。
思い入れのある作品については、実際に触れた時期に合わせて、改めて記事を書いたりするかもしれない。


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