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16:開かぬ扉の鍵と

4歳ごろ。
過ごした実家にあった、いろいろを思い出してみた。

プラスチック製の大小の刀のことは、よく覚えている。
ああいうのは、もはや少年の必需品みたいなものだろう。
模造刀などと比べればかなり安っぽいものだが、わりと気に入っていた。
大刀のほうは赤い鞘、小刀のほうは緑の鞘だったと思う。小刀の記憶があまりないのは、大刀のほうが好みだったからだ。
鞘の表面は凹凸があってザラザラした感じで、滑り止めの役目を担っていたのだろう。鍔は黒、刃は白、という簡素なものだった。

ほかにも、青紫の柄のところに単三電池を2本入れて電源を入れると、剣身がオレンジ色に発光する剣もあった。
これは乱暴に使うわけにはいかない代物で、電池もすぐに切れるのであまり愛用はできなかった。いまだに覚えているので、好きは好きだったのだが。

いまでは模造刀を持っている
なにに使うわけでもないのだが

***

ほかには「日本人形」と、ひとくくりにしていいのかわからないが、ケースに飾られたいくつかの人形があった。

普段、祖母が過ごしていた居間には、赤い着物を着た人形。少女の姿のものと、大人の女性の姿のものがあった気がする。どちらか一方は、仏間にあったのではなかっただろうか。
仏間には、五月人形なのだろう、武者の恰好をした全体的に茶色っぽい印象の人形。

そういえば仏間には、姉の雛人形が飾られたこともあった。
子供心に、人形自体はちょっと怖い印象や不気味な感じがあって好きではなかったが、私はその雛人形たちが、それぞれの役割に合わせて持っている小物を「装備品」あるいは「アイテム」のような感覚で見ていた。そっちはやっぱり好きだったのだ。

装備品といえば、仏間には一段高くしつらえた「床の間」があり、そこには五月人形と一緒に揃えられたものだったのか、兜が飾られていた。兜のサイズに合わせた小さめの座布団は紫色で、金色の糸が模様を描いていた。

そして張子の虎。首がゆらゆら動く虎の置物である。ちょっと飾る小物ではなく、中型犬くらいのサイズはあった。首を取り外すと空洞の中身には新聞紙が裏紙として貼られていたように記憶しているが、現物がないので確かめようがない。

あれらは、いつごろまで飾られていたのだろうか。
いまでは同じ場所に、亡くなった祖母の写真が飾られている。

***

一方で、2階の一室には、シルクっぽいドレスを着た、貴婦人のような人形もあった。薄いオレンジ色のドレスだったと思う。
フランス人形、という感じだったが、正確な定義を知らない。

その人形は、赤みのある茶色い木枠のガラスケースに飾られていた。
ケースの戸を開けると、人形の足もとに小さな鍵があった。
オレンジ色に近い金色のメッキが施された、玩具のような鍵。
玩具にしては、頭のところの装飾が結構、凝っていた。
幼心に、その小さな鍵を見てワクワクしたものだ。

ずっと謎だった。
あれは一体、なんの鍵だったのだろう。

ずっと謎だった。
「これはなんの鍵?」
と、なぜ親に訊かなかったのだろう。

謎のままであることに、ロマンでも感じていたのだろうか。
結局、わからないままにその鍵の行方もわからなくなってしまった。
もしも当時、答えが簡単にわかっていたら、いまは記憶に残っていないのかもしれない。

わからないからこそ続くもの、残るものもあるのだと思う。

***

雛人形にしろ、五月人形にしろ、そういうものが家に揃っていたのは、そうすることが一般的な時代だった、ということも確かにあるだろう。
なかには贈りものの品もあったのかもしれないが、そういったものをきちんと揃えてくれていた両親にいまでは、いくばくかの申し訳なさを感じてしまう。

姉が生まれたときには「三月」が意味をもったはずだ。
そして男児、つまり私が生まれたことによって「五月」が意味をもつようになったことだろう。
喜びや期待をもってくれていたことが、記憶の情景からも、うかがい知ることができる。
五月人形の若武者の、弓矢を携えた凛々しい表情や、床の間に飾られた兜。虎。

虎をも従える荒武者であればよかったのだが、私にはそういった勇猛さはなかった。

真面目に、そして自分なりに果敢に挑んできたつもりだが、仕事では心を病むばかりだ。立場を利用するばかりの人間に、心底疲れ切っている。
そして私は、人よりも"記憶の解像度が高い"ので、ちょっと思い出してしまうだけでも気分が落ちこむ。

わりと早くに結婚したが、私は「三月」にも「五月」にも、意味を見いだせなかった。
妻の患っている気分障害のこともあったが、私は幼いころからいつも「哀しさ」に追われ、それを上書きするように「モノ創り」ばかりしてきたのだ。
それが正しかったのか、間違っていたのか、わからない。
そうしていなければ、きっといまの私は存在していなかっただろう。
それは、なんとなくわかる。

いつだったか、数年前に母から「人形を処分した」と聞いた。
そして少し前に「雛人形を処分した」とも聞いた。

***

どうあっても、私は自分の道を精一杯、歩くしかない。
これが自分の人生だったと、最期に心から思えるように。

"正解がわからない"から、続けられるはずだ。
開かぬ扉の鍵は謎を残したまま、季節の終わりに浮かんでいる。



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