12:受け継ぐ物語
4歳ごろ。
私は物語が好きだった。
この歳のころには定番の、童話や昔話といった類のものだ。
就寝前に読み聞かせをしてくれていた。
観客は私と姉。話者は母である。
母は、観てきた映画の内容を人に尋ねられて話す場合など、母の話を聞いた人が「自分で観てきたかのようだ」と評するくらいの話術をもっている。
そんな「卓越した話者」による朗読は、聴きごたえがあった。
地の文と会話文は、もちろん読み方が違う。
そして人物によっても声色を変える。
贅沢で、楽しい時間だった。
まず記憶にあるのは、児童向けのハードカバーの本。
パッと思い出すのは以下のものあたり。
いまはもう手もとにないのだが、これらのタイトルをもとに調べてみたところ、どうやらポプラ社の『こども世界名作童話』というシリーズだったようだ。Aセット、Bセットと各20冊ずつのセットでも販売されている。
それと『まんが日本昔ばなし』の話が、エピソードごとに短く1冊ずつに分かれて、かなりの冊数入っていたBOXセットみたいなもの。
小さな子供にとっては、少し怖い話もあったような気がする。
こちらも調べてみたところ、国際情報社から1BOXあたり60冊入りのものが2種類出ていることがわかった。
パッケージに見覚えのあるほうは「パート1」のBOXである。
これはやがて従兄弟の家庭へと渡ったはず。
これらのシリーズ以外にも、読んでもらったものはあったと思う。
もちろん、読んでもらえるだけで充分ありがたいのだが、たどたどしく読みあげるよりも、なおさら物語に入りこめたはずだ。
それをしばしばやってくれていたのは、本当に贅沢な時間だったのだなと思う。
***
寝る前に「しりとり」をすることもあった。
母によれば、いつも最初に眠たくなるのは母だったようだ。
姉と私の二人で次は母の番だと言い、眠気に呑まれている母が「べんとう」と答えると「それはもう言った」と子供たちから言われる。
そこで母は「べんとうのおかず」などと答えて子供たちに「ずるい」と言われていたらしい。
「うさぎの耳」「ライオンの子供」なども言っていたそうな。
ともあれ、そういったやり取りや、本の読み聞かせというものがあったからこそ、当時の私は「言葉」が好きになり、物語が好きになったのだと思う。
***
私がきちんと小説を書きはじめたのは2013年12月。
読み聞かせをしてもらっていたころから、ずいぶんと歳月は流れたものの、振り返ればそこに至るまでにも、私はずっと物語を描いていた。
空想をしたり、物語性のある絵を描いたり、ゲーム制作をしたり。
私は母のような話者ではないが、物語の「語り手」として歩いてきたところはある。
現在執筆中の小説も、もともとはRPG(ロールプレイング・ゲーム)用のシナリオだったものだ。
歩いた道は、繋がっているものだなと思う。
この「手記」のシリーズを書いていくことで、道の途中で思わぬ再会もある。ああ、このころからそういえば好きだったな、とか。
意識していなかった自分のルーツを新たに知るのは、なかなか面白い。
読み聞かせのように、気づかぬうちに受け継いだものも、きっとまだほかにあるはずだ。
私はいま自分の物語の、はじまりと終わりの間にいるのだろう。
そして昔もいまも、ずっと物語とともに生きているのだ。
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