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21:ぶどうの園を訪ねて

4歳ごろ。

写真というものの役割は、デジタルへの移行によって、さまざまに変化したのだと思う。

現在では、本当にちょっとしたことで、気軽に写真を撮る。

わかりやすい例でいえば、ランチの写真などだろうか。
スタバで期間限定のフラペチーノを注文し、それを写真に撮る。
本日の外出のファッションを、鏡の前で写真に収める。
それらをSNSに投稿することで、リアクションを貰い、ある意味では完結する。

学生であれば、黒板やノート、参考書の一部などを写真に撮り、とりあえずのメモとする場合もあるだろう。
社会人であっても、やることはそう変わらない。
現場の写真を撮ってどうこう、というのもあるだろう。
気になったものをちょっと写真に撮って、LINEで誰かに送ったり、わからないものを質問したり。

そういった使い方は、フィルム時代の写真にはなかった。
1枚の価値が違うので、適当なものはあまり撮らず、厳選された場面が切り取られるのだ。
『写ルンです』の名が懐かしい、使い捨てカメラにしろ、同じだ。

***

いまから少しさかのぼると、携帯電話の「写メ」と並行して、デジタルカメラの時代があった。通称デジカメだ。
携帯電話よりもかなり高画質だったために、それなりの地位があった。

デジカメは写真をデジタルで保存できるが、当時はデータの送受信がいまほどで活発ではない。
PCに取りこみ、縮小してブログにアップする、というのは一部の人だろう。
大抵はPCに取りこむ一方で、ときどき家庭用のプリンターで印刷する。
あるいはデータをカメラ屋などに持ちこんで、印刷をする。
デジタルカメラといっても、結局はアナログに行き着いたところで完結していたようなところがある。
テレビと接続してスライドショーが見れる、という機能がついたりもしたが、さてどれだけの人がその機能を利用しただろうか。私は使ったことがない。

カメラは「カメラマン」が持つものだった。
それが次第に一般家庭へと普及して、個人がデジカメを持つようになり、やがて携帯電話やスマホで、それなりの写真が撮れるようになった。
スマホで充分という人は、カメラを持ち歩く必要がなくなる。
カメラは「カメラマン」が持つものに戻った、という気がする。

いまこの時代に、あえて立派なカメラを持つ。レンズにもこだわる。
それはもう「カメラマン」と呼ぶべきだろう。プロも、趣味も含めて。

画像の品質はよくなった。
スマホで撮っても、普段遣いには充分なだけの画質である。
しかしその反面、厳選されない写真は増え続け、見返されることも少なくなった。
スマホの写真は、ランダムで昔の写真を出してきたりもするが、それもどこか苦肉の策、という感じがする。
なんとなく、皮肉なものだなと思う。
せっかく高品質になったのに。
人生の瞬間を、綺麗な写真で残すために、進歩してきたはずなのに。

実際のところ、現代人は昔の写真を見返す時間よりも、新たに写真を撮る時間のほうが多いんじゃなかろうか。
どこにも公開せず、自分でもロクに見返さないものを撮り溜める。
そのデジタルデータに刻まれているのは、果たして「生きた証」などと呼べるものだろうか。

***

冒頭から、話が逸れ過ぎた感が否めない。
なんの話だったかな。

そう、昔の写真だ。私が4歳のころ。
ぶどう狩りの写真が残っている。

日付は9月27日。
いまはデジタルデータに日付が自動保存されるが、当時は撮影時にカメラで設定をして、現像された写真の隅に印字されるのが普通だった。
そのおかげで、アナログであっても、いつの写真かすぐにわかる。

当時は、父がカメラで家族の写真を撮っていた。
フィルムをセットし、シャッターを切る。
カシャッ、ウィーウィウィーーーン。
1枚撮ると、続けてフィルムを巻く機械音がする。
いまでもしっかり思い出せる音だ。

小さなファインダーから被写体を覗き、全員が写る範囲に収まっているかを確認する。
大事な記念写真ならば、誰かが眼を閉じていて台無しにならないよう、慎重に複数枚撮る。
撮影しても、その場では確認できないのだ。
フィルムを使い切り、現像に出して手もとに戻ってくるまで、どんなふうに撮れているのかわからない。
確かに不便だが、それも面白さや楽しみのひとつだった。

***

そんなカメラ事情のなか、ぶどう狩りの写真は、特に私がよく撮れているらしい。家族の思い出話では、たびたび引き合いに出された。
確かに、屈託のない表情をしている。

姉の通う小学校のPTA役員として、母が赴いた研修旅行先だったのだとか。PTAの研修で、ぶどう狩りとはいかに。謎だ。
母はそういう行事めいたものに喜んで参加するほうではないはずなので、きっとこのときも乗り気ではなかったに違いない。

私はPTAのことなど、ぶどう狩りへ行った経緯までは知らなかったが、その光景はなんとなく覚えている。

出かけるとすぐに帰りたがる私なので、ちょっとした遠出も大冒険だったことだろう。
それでも、幼い日に外で楽しそうにしている姿を写真で見ると、いろいろな場所へ連れて行ってくれたんだな、としみじみ思う。

そのひとつひとつが、私の糧だ。

ひとつの経験から受け取る情報や心に刻んだものは、色濃く残っている。
嫌なことも人より覚えているが、楽しかったことも、人よりよく覚えているんじゃないかと思う。
そして、すべてとはいわないが、多くのことを、こうして文字にすることができる。
だから書きたい。私が見せてもらった景色を。

***

今年(2023年)の5月5日に、デイキャンプができるキャンプ場の下見に行った。
妻が、妹に聞いて調べた場所だ。

近くにぶどう畑やワイナリーもある、ぶどう推しの場所だった。
そういえばこの地域は、以前からぶどうやワインを名産にしている。
売店では、オリジナルのワインも並んでいる。

もしや、と思いあとで母に訊いてみたところ
「そこだったかもしれない」とのことだった。
めぐりあわせというやつだろうか。

この日は、家族連れの利用客も多かった。
遠い昔の私と、どこかですれ違っただろうか。


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