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29:あの日に見ていたもの

5歳ごろ。
さすがに正確な歳月は不明だが、記憶に刻まれている情景がある。

幼少の節目として挙げられる出来事のひとつは、幼稚園だろう。
つまり、おぼろに浮かぶものが、幼稚園以前の記憶かどうか、ということがひとつの判断材料になる、というわけだ。

今回は、順不同で列挙するカタチになるが、幼稚園以前だったと思われる記憶を紐解いてみたい。

***

私は、寝るのが苦手である。
それは当時もいまも変わらず、眠くもないのにベッドで横になったりすると、まだできることがあるのに、やりたいことがあるのに、と感じてしまい、それを押し殺して寝よう寝ようとするほどに、余計に眠れないのだ。

だからまぶたが重くなるまで、なにか作業をしていたほうがいい。
やるだけやって気絶するように眠りに落ちるほうが、よほどぐっすり眠れるという感じもする。
それは思いこみかもしれないのだが。
つくづく自分の往生際の悪さを感じるところだ。

5歳そこらの私も、その感覚はもっていた。

当時は、現代の子供のように深夜帯まで起きていない。
20時や21時には寝なさい、というのが一般的だった。
おそらく多くの家庭がそうだっただろう。
あたりまえに24時間営業しているような店舗もなかったのだ。

そしてやはり眠れない私はどこかで苛立ち、両親の過ごしている部屋へ行っては、眠れない、と訴えていたことを覚えている。
あるとき、厳しい祖母に怒られるから、と母から内緒でひと口だけ貰ったアイスカフェオレのことを、傾けたグラスと氷のぶつかる澄んだ音を、私はきっと生涯忘れないだろう。
いま思えば、眠れない5歳児にコーヒーというのは微妙な気もするが、べつでなにか用意などすれば祖母に見つかっていたかもしれず、苦肉の策であり、その場での優しさゆえだったのだろうと思う。

あれはいつごろのことだったのか、母に訊いてみたが、記憶にないとのことだった。

***

当時の苦手なものといえば『とんねるず』のTシャツがあった。
いま見れば「そういうデザイン」なのだが、5歳の私にはインパクトが強すぎたのだろう。
笑顔のないモノクロの顔も、口唇だけ鮮やかな色であることも、あのころの私にはただただ気持ち悪く思えていたものだ。
しばらくタンスのなかに眠っていたのだが、眼に入るたびに気持ち悪いと感じるので、見ないようにしていた。

これも母に訊いたのだが、記憶にないとのことだった。
こういうやつ、と説明するのも難しいのでネットで探してみると、案外すぐに見つかった。

ビンテージのTシャツを取りあつかっている通販サイトで発見。

在庫状況までは調べていないが、ヤフオクやメルカリにもあるようだ。
どうやら『日清焼そばU.F.O.』の懸賞Tシャツだったらしい。
父はときどき夜更けに小腹が空いた、と言って食べることがあったので、懸賞にも応募したのだろう。
家族の誰かが着ているところは一度も見ていない。処分していないのなら実家のどこかにあるのだろうか。
昨今はビンテージTシャツの価値が上がったりしているらしいので、意外なお宝だったりするのかもしれない。

***

おそらくこのTシャツの影響もあったと思うのだが、眼鏡屋の看板も苦手だった。
円形の黒地に白抜きの、眼鏡をかけたフクロウのシルエット。
白抜きのフクロウの腹部に赤く「メガネ」の文字。
そのデザインが、私には「騙し絵」のように逆に見えた。
白抜きの部分が蒼白な顔で、赤い文字が鮮やかな口唇。
外側の黒い部分が撫でつけたオールバックの髪と、顎を覆う黒ひげ。

ちなみに「騙し絵」というのはこういうやつである。

向き合った横顔に見えるか、くびれのある杯に見えるか。

一度そういうふうに見えてしまうと、そうではないとわかっていても、なかなか切り替えられないのが人の性質。
幼い私は、眼鏡屋の大きな看板のそばを通るたびに「白い顔に赤い唇のオジサン」に見えて、気味悪がっていた。

***

苦手なことといえば、筋金入りの出不精なので、できれば出かけたくない。
それもやはり、いまも変わらずである。

母が思い返して言うのは、家族で外出したときのこと。
出かけてすぐに「あと なんふん?」と訊く。
(「なんぷん?」ではなく「なんふん?」というのがポイントらしい)
私は出かける前から「早く帰りたい人」なので、これは当然の質問ではある。

家族で出かけた先でレジャーを楽しめないわけではなく、家でホッとしている状態が一番好きなのだ。
2歳ごろからかなり鮮明な記憶が残っている私なので、刺激に対して鋭敏すぎるのだろう。
誰の記憶にも残らないようなことを、やたら覚えていたりする。
幼稚園に入園する前までの記憶の話で、こういった記事が30本近くも書けるくらいに。

出かけるということは、外部の刺激を全身で浴びることになるので、情報を受け取りすぎて疲れ果ててしまうのだと思う。
だから出かけたいと思わないのだ。
ちなみに、社会人になってからも、就寝時に「あ~早く帰りたい」と言っているくらいなので、なにも変わっていない。

***

親戚の家に行ったときのこと。
おそらくその家に行ったのは、一度か二度程度だろう。
ニオイの記憶についての記事でも少し触れたが

①このニオイはどこかで……。
②あのときのニオイに似ている!
③あのときのニオイのもとはこれだったのか。

ということが、あとになってわかったりする。
ニオイの記憶というのは強烈だ。
何十年経っても、当時と結びついたりすることがある。

あるとき、突然その親戚の家のことを思い出した。
立ち寄った古民家で漂っていた「古い家屋の脂を含んだような埃のニオイ」と結びついたのだ。

そしてまたあるとき、その親戚の家のことを思い出した。
漂ってきた「豚脂や地鶏炭火焼きのニオイ」と結びついたのだ。
あの親戚の家では、ご主人がお酒好きで、揚げ物やツマミをよく食べていたのだろうか。
夕食のあと、従兄のところでファミコンの『スーパーマリオブラザーズ』をやった、おぼろな記憶も紐づいている。

当然、5歳当時にニオイのもとがなんであるか、までは理解していない。
大人になってから、当時のニオイと結びつき、あれはこのニオイだったのか、とたどり着くわけである。

たとえば小学生のころ、友人のシャツから「フライドポテトのようなニオイがする」と感じていた。
大人になって、マクドナルドのフライドポテトから漂うものが牛脂のニオイであることを知る。
つまりその友人の家では、牛肉や牛脂をよく使っていたのだろう、とたどり着く、といった具合である。
意識的に調べようとして考察しているわけではなく、自然と結びつくのだ。

こんな状態だから、私の記憶は薄れないのかもしれない。
そして紐づいてまた思い出す。
いいことも、そうでないことも。

***

食べ物の記憶も少し触れておこう。

ヤクルトの飲み方を、ときどき変えていた。
水玉柄の蓋を剥がすのではなく、水玉を爪楊枝で突き刺して複数の穴を開け、シャワーのようにして飲むなど、子供はなにをするかわからないものだ。

『キュービィロップ』という飴も懐かしい。
ひとつの個包装のなかに2粒、味の異なる四角い飴が入っている。

棒についた平たいチョコレートもよく覚えている。
当時も『アンパンマン』だったと思う。

駄菓子の類は同世代と比べるとほとんど食べていないが、スーパーなどに行くと眼に入っていた。子供が欲しがるような位置に陳列していたということだろう。
食べたことはないが「見たことがある」というのは結構ある。
小学生の遠足のお菓子や、普段の遊びで食べている人を見た、ということだ。

***

そんなこんなで、次回の記事あたりから、5歳の私は苦手な幼稚園へと向かうのであった。


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