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27:傷だらけで疾走する

5歳ごろ。
いまにして思えば不思議だが、私はミニカーを手にして遊んでいた。

なぜ不思議なのかというと、私はあまり車に興味がないからだ。

いまは違うのかもしれないが、当時の少年たちは、標準的に「はたらくクルマ」というカテゴリのもと、パトカーや白バイをはじめ、救急車両や重機などに関心をもった。
『仮面ライダー』のバイクや、戦隊モノのマシンの影響もあるだろう。
それ以外にも当時で考えれば、乗り物がロボットに変形する『トランスフォーマー』や、『機動戦士ガンダム』のような2足歩行ロボットの存在も、少年たちを中心に人気であった。

そしてバスや列車、船や飛行機など、一度にたくさんを運ぶ乗り物にも興味をもつ場合が少なくないと思う。
たくさんの駅名が言えたり、列車の型まで言える少年は、当時もいたものだ。
パワフルさなどに惹かれ、多数を少数で動かす、社会の歯車のひとつとしての役割に惹かれるのだろうか。
そしてそれらとは異なる、颯爽と駆け抜けるスーパーカーのようなものにも、多くの少年が憧れを抱く。

しかし私は、いずれにもあまり強い興味をもたなかった。

父が車やバイクが好きで、プラモデルや、テレビ台には重機のミニチュアなども飾ってあったので、触れる機会がなかったわけではない。
ラジコンやプラモデルなど、同世代が夢中で遊んでいると欲しくなったりもしたが、その時点でスタート位置が異なっていたと思う。

いまでも、無機物の絵を描くのは、あまり好きではない。
カチッとしたものを正確に描けても、そこに楽しさや喜びを感じないようなところがある。車より動物のほうが好きだ。

***

しかし、なぜだかよく遊んだミニカーがあった。

もともと父のもので、当時は実際に父はスカイラインに乗っていた。
記念的な意味もあったのではないかと思う。
部屋の壁にはサーキットを走るバイクの写真も飾られていたので、レーシングも好きだったのだろうか。
突っこんで訊いたことはないというのも、興味の薄さの表れか。

車にたいして興味がないくせに、お気に入りの遊び道具として使い倒すというのは、父にとってはさぞ迷惑な話だっただろう。
のちに父の口から、ボロボロになってしまったことを嘆く言葉を、何度か聞いたこともあった。

それでも手もとに残しておいたミニカー

赤と黒の配色はいまでも好きなので、この色を気に入っていたのだろうか。
あちこち剥がれているのは経年劣化ではなく、遊び倒したことによるものだ。
ちょうどよい幅の斜面になっている家の階段の縁で走らせたりしていたので、かなり年季が入った外見になってしまっている。
これとは別にレーシング用らしき白いスカイラインもあったのだが、おそらく『処分譲渡処理』を受けており、いまは残っていない。

当時、父に頼んで描いてもらったイラスト

***

とはいえ、車を運転することに対して、まったく興味がなかったわけではない。
座椅子をひっくり返して、回転する台座をハンドルに見立てて遊んだりしていたし、仮面ライダーなども好きだったのだ。

ただ、車好きの少年とはちょっと違っていた、というのは確かだ。
いまは車を運転する身だが「動けばいい」というくらいに興味がない。

このミニカーを遊び道具にしていたのは、小さな人形などで遊んでいたことと関係がありそうだ。

以前の記事でも紹介した食玩など

この小さなバイクの青い座面は開閉できて、そこにぴったり収まるサイズのペンギンがあった。色は黄緑のテーブルと同じで、ペンギンの親子。
ピンク色のペンギンもあったが、私は座面に収まる黄緑の子ペンギンで、よく遊んでいた。

だから、ミニカーが遊び道具になったのかもしれない。
想像のなかでは、あのペンギンが運転席に乗っていたに違いない。

そんなわけで、ボロボロになったミニカー。
父に対しては申し訳ないなと思いつつも、修復のしようもないので、そのまま手もとに残しておいた。思い出が詰まったミニカーである。

***

それから時を経た、2012年のある日。
たまたま通りかかった商業施設のなかのホビーショップで、私は足を止めた。

圧倒的な既視感

一般的な『トミカ』シリーズよりも大きく、サイズが違うのは一目瞭然。
細部の様子が記憶していたミニカーと違うこともすぐにわかったので、まったく同じデザインのものではない、というのは間違いなかった。
だが、この「11」のナンバーには覚えがあった。
遊び倒したミニカーと、確か一緒だったはずだ。

売り場を右往左往する。記憶をたどる。
家に帰って確認すれば確実だが、記憶のなかのミニカーに「11」はあった。

普段、ほとんど物を買わない私が「これはもう買うしかない」と思った。

***

そしてこの年の、父の誕生日プレゼントとなった。
ボロボロになったミニカーと並ぶ姿は、どこか微笑ましくもある。

代わりを買ったからといって、ボロボロにしてしまったミニカーがもとに戻るわけではないが、記憶とのこんな再会の仕方もあるのだ。

実家の玄関にて


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