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わたしの映画日記(2022年3月26日〜4月1日)

3/26

『てなもんや三度笠』 内出好吉 1963年 日本(U-NEXT)

主人公はどこに行っても使い物にならない渡世人 あんかけの時次郎(藤田まこと)。ひょんなことから口だけは達者な小坊主 珍念(白木みのる)と出会う。時は折しも清水次郎長が名声をほしいままにしていた時代。多くのヤクザたちが「われこそが次郎長を打ち取ってやる!」と息巻いて清水港をめざす。時次郎と珍念は得意のハッタリで行く先々でヤクザや殺し屋から金を巻き上げる。しかし最後には次郎長を狙う強敵に退治する羽目になる。

脇を固めるのは名だたる昭和のレジェンドたち。大村崑、芦屋雁之助、茶川一郎、トニー谷、夢路いとし・喜味こいし、堺駿二まで登場する。彼らのコミカルな演技を見ながら小林信彦の本を紐解けば、芸能通にでもなった気分を味わえそうだ。

ラストシーンは敵にさらわれていた珍念と時次郎の感動の再開。ここまで観てはたと気がついた。さすらう男と子供の旅路。プロットが子連れ狼やマンダロリアンと同じだった。当時テレビで観るものが少なかったこともあるだろうが、最高視聴率64.8%の裏側にはコメディ要素だけでなく物語の力もあったのではないかと妄想してしまった。


3/27

『エスケイプ・フロム・トゥモロー』 ランディ・ムーア 2014年 アメリカ(U-NEXT)

ディズニーワールドにやってきた子連れの4人家族。前日にホテルに宿泊していよいよテーマパークに出かける朝。夫は突然の電話で上司から解雇を告げられる。様子がおかしいことに気づいた妻は夫を問いただすが答えようとしない。幼い子どもに悟られまいと平静を装う。ランドに向かう電車の中でセクシーなフランス人女性二人組に目を奪われながらも無事に到着。シンデレラ城の前で定番の家族写真を撮影し楽しいひとときが始まる。しかしイッツ・ア・スモールワールドの船に乗っていると夫が幻覚に苛まれる。妻から嘲笑されたり、”子どもたちは自分の子供ではない”という幻聴が聞こえたり。最後にはアトラクションに乗っているにも関わらず嘔吐する。

その後夫婦がそれぞれ娘と息子を連れてアトラクションを巡ることになる。夫は朝に見かけた二人組を何度も目にして妄想に浸る。広場のベンチに座り娘を遊ばせていると隣の妖しい女性に魅了される。ディズニー映画に出てくる王妃に化けた魔女のように、胸につけた宝石の光で誘惑される。気づけば夫は女性とベッドの中。ここから恐ろしいディズニーランド体験が始まる。

ディズニーランドでのゲリラ撮影とチープな合成映像を組み合わせたモノクロ映画。夫のリビドーと被害妄想がとんでもない方向に進んでいく。シュールと悪趣味のギリギリを攻めつつ待ち受けるのは最悪の結末。訴訟リスクとかどうなっているのか考えたが、少なくとも日本で真似したら大変なことになるだろう。ディズニー側にとってみればこの映画自体が悪夢のような存在であることは間違いない。

『ベルファスト』 ケネス・ブラナー 2021年 イギリス(イオンシネマ白山にて上映)

俳優でもあるケネス・ブラナーの自伝的映画。主人公の少年は兄と両親との4人家族。少し離れた場所に祖父母が暮らしている。当時の北アイルランドは失業率が高く、父親はイギリス本土へ出稼ぎに出ている。穏やかで愛に溢れた幼少期が突然の暴力で打ち壊される。舞台はタイトルのとおり北アイルランドのベルファスト。プロテスタント系の住民がカトリック系の住民が暮らす住宅を襲撃する。ごく普通の街並みにバリケードが築かれる。カトリック教会では司祭が熱狂的な説教でプロテスタントを糾弾する。父親は2週おきに家に帰ってくるたびに「カトリック系住民の排除に協力するように」と圧力をかけられる。もちろんこの一家は暴力に加担するつもりは毛頭ない。

愛する故郷を離れるか外国人としてロンドンで暮らすか。選択が迫られるなかで一家が苦しむのがなんとも痛ましい。若い頃にこの映画に出会っていれば圧倒的に主人公の少年に感情移入をしていたのだろうが、30代も半ばになると両親の苦悩に共感せざるを得ない。自分の親(主人公から見れば祖父母)、夫婦としての生活、子どもたちの未来。どれを選択したとしても多大な犠牲が求められる。きっと後から「あのときこうしておけば…」と後悔が残っただろう。ロシアのウクライナ侵攻も相まって、理不尽な戦争や暴力がいかに一般民衆を苦しめるのか突きつけられる作品だった。劇中に登場する名作映画のなかでも『真昼の決闘』の使い方が本当に見事だった。映画と映画の外で起きている緊張をシンクロさせることに成功している。合わせて見る価値あり。

3/28

まん防終了一発目の飲み会のため映画は観れませんでした。

3/29

『アイ・アム・ユア・ファーザー』 トニ・ベスタルド/マルコス・カボタ 2015年 スペイン(U-NEXT)

デヴィッド・プラウズと聞いてもほとんどの人は誰のことかわからないだろう。しかし映画史に燦然と輝くスペースオペラで最も有名な悪役の”中の人”と言われれば印象は変わるだろう。スターウォーズ第4作から第6作でダース・ベイダーのスーツアクターを務めた俳優は、制作陣とのトラブルをきっかけに重要なシーンから外される。その事実は映画公開まで秘密にされ、本人も観客席で結末を知り気づいたという。

ルーカスフィルムやファンイベントから徹底的に無視されるデヴィッド・プラウズの名誉回復を願う人々(本作の監督とその仲間)は、ダース・ベイダーがマスクを取るシーンをデヴィッドで撮り直すことを提案する。もちろん公式がそれを許すはずもなく、肝心の作品は撮影されたものの本作の中で映し出されることはない。

ダース・ベイダーを演じたことで得たものと失ったもの。本人だけでなくその家族も人生を翻弄される。なぜ彼はダース・ベイダー役から外されたのか。今でもなお疎まれているのか。デヴィッド・プラウズの一方的な主張に終始している印象も否めない。核心を知るジョージ・ルーカスが口を開かない限り本当のところは誰にもわからない。メディアリテラシーの教材として捉えるのがちょうどよい気がした。エンドロールで紹介される素顔の知られていないスーツアクターたちへのリスペクトは大いに評価できると思う。

『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』 ジョン・マルーフ/チャーリー・シスケル 2014年 アメリカ(MUBI UK)

シカゴ在住の青年が380ドルで落札した箱の中から大量のフィルムが発見される。そこには膨大な数のストリートスナップが収められていた。撮影者の名はヴィヴィアン・マイヤー。Googleで調べても該当する写真家は見つからない。唯一発見できた手がかりはひとりの女性ベビーシッター(ナニー)の名前だった。

彼女に世話された子どもたちを訪ねていくと謎の写真家の姿かたちが浮かび上がってくる。出入りしている家族にも自分の出自明らかにしない。フレンチ訛りの英語を話す理由もわからない。取材を進めていくと彼女の意外なルーツが明らかになり、それとともに作品自体の価値も評価され始める。無名の写真家がその死後になって日の目を見る。現代版ゴッホのような人物を追ったドキュメンタリー。

美術館が見向きもされなかった作品群が、Flickrに投稿された途端に人々の注目を集めるところがいかにもSNS以降の時代を反映している。写真家としての素晴らしい力量にスポットを当てながらも、ベビーシッターとしてのヴィヴィアン・マイヤーの暗部にも光を当てる。なかなかバランスの取れたドキュメンタリーだと思った。


3/30

『GAGARINE』 ファニー・リアタール/ジェレミー・トルイユ 2020年 フランス(シネモンドにて上映)

ガガーリンの名が付された公営住宅の閉鎖に伴い散り散りになる住民コミュニティ。人々が次の住まいに引っ越していくなかで、行き場を失った16歳の少年が主人公。当てにしていた母親は交際相手との間にできた子供の出産を控えて息子が疎ましい。わずかな金だけを置いて「友達に家に身を寄せるように」とメモを残す。宇宙好きの少年は偶然ネットで見た宇宙ステーションの動画からインスパイアされ、取り壊しを控えたを団地に基地を作り始める。

重力を感じさせないカメラワークで巨大な団地を撮る手法は『2001年宇宙の旅』を。狭い空間のなかで生活に必要な野菜を育てる手法はマット・デイモン主演『オデッセイ』を連想させる。住まいを失ったマイノリティが直面する厳しい現実を描きながらも、SF映画の醍醐味をうまく取り入れた監督の手腕に唸らされた。

ロマの娘という背景のヒロインを演じたリナ・クードリはアルジェリア出身。なんと彼女はウェス・アンダーソンの『フレンチ・ディスパッチ』ではティモシー・シャラメのガールフレンド役だったと言うではないか。本作では長い髪が印象的だったのでヘルメット姿の彼女と全く結びついていなかった。おそらく今後のフランス映画で重要な存在になっていくだろう。

『TITANE』 ジュリア・デュクルノー 2021年 フランス(MUBI UK)

2021年・第74回カンヌ国際映画祭でパルムドールに選ばれた作品。幼少期に不慮の事故で頭蓋骨に金属を埋め込まれた女性の数奇な運命。”車に欲情する”という特殊な性癖がもたらす衝撃的な結末。ジュリア・デュクルノーの作品にひとつでも触れたことがあれば十分に予想できた物語ではあったのだが、前半で3人が死んだ時点でギブアップ。残りは飛ばしながら最後まで観た。とてつもない作品であることは間違いない。クィア映画としての位置づけからの分析も非常に興味深い。だが個人的には生理的に無理だった。万人にオススメできるような作品ではない。血迷って映画館で観なくてよかった。

3/31

『熱海ブルース』 ドナルド・リチー 1962年 日本

黒澤明や小津安二郎の作品に関する評論を執筆し、これら日本映画を世界に紹介した功績で知られるドナルド・リチー。その彼が日本を舞台に撮影したサイレント映画が『熱海ブルース』。モノクロの画面に武満徹作曲の洗練されたジャズが鳴り響く。熱海で出会った男と女が別れるまでを描いた20分の短編作品。

熱海という温泉地が練り上げられた構図と素晴らしい音楽により、まるで東洋の皮を被った地中海のリゾートに思えてくる。人里離れた山間の温泉地を描いた清水宏の作品『按摩と女』『簪』などと比較してみると一層面白いだろう。もしかすると年間ベストに入れてしまうかもしれない。それだけ美しい映画だった。

4/1

この日はもろもろ忙しく映画を観れませんでした。MUBI UKで『ドライブ・マイ・カー』の配信は始まったこともあり、タイムラインがお祭り状態でした。日本時間で月曜早朝から開催されたアカデミー賞は映画そのものよりもイベント自体のアクシデント・事件の話題性があり今なお議論が続いています。とはいえ当日に見過ごせなかったのは『ドライブ・マイ・カー』の手話描写に対する問題提起です。既に世に放たれアカデミー賞まで受賞した映画、なおかつ私自身もいたく感動した映画なだけに冷静に受け止めるまでに時間がかかりました。それでも当事者から出た声には一観客としても耳を傾けざるを得ません。手話を”美しい”と受けとめてしまった自分に恥ずかしさを覚えつつ、今後出会うであろう様々な表現に対してどのように向き合うべきか内省していきたいと思います。

●3月に観た映画まとめ(44本)


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