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#6 APEX新キャラ張本勲のウルト「喝」の具体的内容について考える(230515)

どうも。「ご飯何食べたい?」という趣旨の質問をされた時の最適解を見つけるため、仕事を辞めて大学に入り直すことを検討しています。ひつじのレフティです。

今流行りの「学び直し」ってやつですね。僕の場合、学んだ実績がないのでただの学びになりますけどね。オラもっと学びてえぞ!

この「学ぶ」とか「学問する」という言葉について、大野晋大先生が『日本語の教室』(岩波新書,2002年)という本でDAN DAN心惹かれてくようなことを仰っていたので該当の部分を引用させていただきます。
癖になってんだ、引用して文字数稼ぐの。

…「学問」を何と言うか。英語では、socio-logy(社会学)、psycho-logy(心理学)、eco-logy(生態学・環境学)と、logyという言葉を使う。これはlogosという言葉の直系です。インド・ヨーロッパ語族に共通するlogosの祖形をE・クラインの『英語語源辞典』によって求めると、logosはlegという語根から発展したものとある。legの最初の意味は「取って集める」(gather, collect)こと。また、「つまみ出す、選ぶ」(pick out, choose)こと。(語を選ぶことから)「読む、唱える」(read, recite)こと。このようにクラインは書いています。ここから「言う、語る、話す」へと発展する。ロゴスはさらに、言葉、会話、論述、試算、思考、理性などの意味へと展開した。legという語根はcol-lect(集める)、se-lect(選ぶ)、e-lect(人を選考する)にも現れ、lec-ture(講義)、lex-icon(辞書)では言葉という意味です。
 つまりロゴスの意味は、「手に取って集めること、選び出すこと、言葉を選ぶこと、言葉の筋を立てた論述から、論理へ、理性へ、学問へ」と展開しています。これは私が日本語と向き合うときに、「学問・研究」の正しい方法と思って心懸けて来た手法、研究の実際的進行そのものです。それを、インド・ヨーロッパ語では、祖語の段階からギリシャ語までの間にすでに行動として具体的に歩んでいた。それでこの言葉がある。
 これに対して、日本語では「学問する」ことをマナブという。マネブともいう。真似をすること。日本では真似をすることが学問の本質とされて来たわけです。ここに文明を作り出して来た集団と、文明を輸入することが常に第一である集団との、行動と言語の様相の相違がはっきりと見える。「言葉」は正直に「人間の行動」、あるいは「認識」、「事実」を反映します。ヤマトコトバにはロゴスに当る言葉がない。それは日本に科学が長い歴史の時間を通して、ほとんど発達しなかったことに対応する言語的事実なのです。

大野晋,『日本語の教室』,岩波新書,2002,p.199-200

研究の道に進んでいる人の視点・着眼点は面白いです。
自分には到達し得ない場所から見える景色をこうも見事に言葉で表現されると「オラわくわくすっぞ!」となります。
つまり感心し尊敬してしまうということですね。だって知識とオーラの底が見えないもの。一体何べえの界王拳を使ってるんでしょうか。

YouTubeでゲーム実況を見ながら余暇を過ごす暮らしを送っていてもここには絶対に辿り着けないじゃないですか。
そこに至るまでの知識も得られなければ、言語的な歴史と(中学高校で勉強するような)一般的な歴史の変遷とを照らし合わせるなんて発想も出て来ないと思うんですよね。いやちょっと待てよ…インスタで犬と猫とアライグマと可愛い女の子の写真を思考停止状態で眺め続けたりもしているからひょっとしたらフッと降りて来る可能性も……いや、あるな。あります。ありました。

「学問する」ということについて書いたこの文章そのものも「学問」した結果生まれたものやんけ! と、ここまで来るともう『ロマンティックあげるよ』が勝手に脳内再生されます。
マトリョーシカ的な構造に弱いんですよ僕。

僕がここで言いたいのは、引用した文章の主張が正しくてこれが正統だ、ということではなくて、その主張を展開するに至った研究の過程に敬意を表したいということと、主張とその着眼点や視点や発想が素人の僕からすれば独特で面白いということです。

こういうのってこの上ない創作のヒントだと思うんですよね。
正しいか正しくないか、ということよりは、面白いか面白くないか、自分の発想力向上の糧になるかどうか、ということに重きを置いて読んでしまっています。
著者である大先生方、邪道な読み方で申し訳ございません。

言語観とか歴史観、文明、宗教、思想といったものが絡んでくる事柄って、正しい・正しくないの議論がもれなく付録でついてくると言いますか、「言及するのであれば全方位に配慮して慎重に扱わなければならない」という内外からの圧が存在するじゃないですか。端から喧嘩をする気なら話は別ですが。
APEXだって常に360°警戒を怠らないようにしていないとチャンピオンにはなれないわけですが、見る専門の僕にはそんなことは関係がありません。

要はその骨格と、骨に僅かにこびり付いた知識の肉片さえいただければ、ひとまずはそれでいいのです。

でもこういう事柄に対して自分がどういう態度を取るべきかって、すごく難しいですよね。

僕は今のところ「ちょっっっっとまだ議論の土俵に立てるだけの知識を持ち合わせていないので何とも言えないんですよ。すみません精進します。すみません」という感じで電話を切ってしまうんですけど、この対応ではほぼ間違いなく張本さんに喝を入れられると思うんですよね。

「逃げている」とか「知識がないなんて言い訳だ」とか「知識がなくたって自分の意見くらいはあるだろう」とか言われそう。

サンモニってどっちかっていうと知識なくてもバンバン意見を言っていく(言わせていく)タイプの番組ですもんね。褒めてますがアッパレはあげません。

実際に面と向かって喝を入れられたら「逃げてるんじゃなくて最初から参戦してないだけですー逃げてませんーその喝お返ししますー」って屁理屈こねるような気がする…自分幼ぇ…。



引用の仕方というか作法というか、マナー違反なところがあったらすみません。
これで問題ないという自信はありませんが、お腹が空いたのでこのままネットの世界に白線流ししたいと思います。

※記事の内容を当初予定していたものから変更しています。ご了承ください。


サカナクション『フレンドリー』

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