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努力と経験って「毒」かも【エッセイ】

って思ったんだけど、これを誰かに話すとナマケモノだって非難されそう。

趣味でも仕事でも
「これだけ努力とお金を費やしてきたし、辞めちゃうのモッタイナイ」
ってなりがちだよね。そのモッタイナイに執着したせいで、大してやりたくもないことを続けがち。嫌いになったわけではないけど、私が学生時代から続けているギターとかそうかな。

愛用のテレキャスター

自分の努力と経験全ては、意味があって正しいものだと思いたい。そんな気持ちに誰もがなるけど、この世のモノって意外と意味のないモノが多いように思う。ただそこにあるだけ、起こっただけのこと。
経験も、無駄に意味を見出そうとすると「強い先入観」として形になっちゃう。

よく成功したスポーツ選手とかが「努力は裏切らない」って、さも真理であるかのように言うけど、私は「努力は裏切れない」のマチガイなんじゃないかなと思う。
努力した事と人の関わりって、「ヤクザとの関係」のようなものに見える。やればやるほど簡単には抜け出せなくなって、言葉通り裏切れなくなるし。(多分ちょっと暴論です。)

でも、努力や経験に相当するモノがないと自分のやれる事が一向に増えないし、似たような失敗を繰り返しちゃうことになるんだよね。それは困る。

なので最近の私は、
努力して経験」ではなく
楽しんで体験」するようにしている。

努力して経験すると、苦しい記憶になり、そこに意味や救いを求めたくなる。
楽しんで趣味や仕事に取り組めば、その体験は思い出となり、やがて宝物になる。

せっかくの自分だけの人生、大した意味は無くとも宝物が欲しいと思った。


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