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永遠でない毎日


結婚ってなんだろう。

29歳独身、悩みは尽きない。


しょうらいのゆめは、およめさん。24歳で結婚、2歳くらい年上の旦那さん、子どもはふたり、上は男の子、下は女の子。赤い屋根のちいさなお庭がついた一軒家。

そんなあまい夢を見ていたのは、いつまでだっただろうか。


数年勤めたウェディングプランナーという仕事を通して、約400組のカップルと出逢った。

おふたりの馴れ初めは?
結婚式をしようと思ったきっかけは?
どんなご夫婦になりたい?

人それぞれの現時点では不確かな、けれど、そのどこかにしずかな意思を持った回答たち。


ええ、素敵ですね。
なんと、それは羨ましい。
大丈夫、皆さん悩んでおられますよ。

スーツを着て、7センチヒールを履いて、新郎様ではなく新婦様の向かい側に座って、ゆっくりと絶えず微笑みながら打ったそれらの相槌に嘘はひとつもなかった。


それでも、いつも迷いがあった。

「まだ結婚を経験していないわたしの言葉に、説得力などあるのだろうか。」


真摯に向き合ってきた。
幸せを願い続けてきた。

プライドも自信もある。胸を張れる。

それなのに、澄んだ水に浮かぶたった一点の曇りだけが最後まで滲んで消えなかった。



ほんとうの理由は解っていた。

まだ結婚をしていない、という言わば公的な言葉を盾にした裏側には決して表に出してはいけない本音が隠されていたからだ。


「結婚そのものを、信じていない」

プランナーとしてあるまじきことだと何度も言い聞かせたけれど、いつまでも刺さり続けるちいさくて鋭い痛み。だから、真実を隠し続けた。


両親の離婚というのはあくまでも始まりにすぎないのだけど、そこで植えられた種からぐんぐんと成長し続ける幹を止める術などなくて。

約25パーセントの夫婦が、離婚という選択肢を迎えるいまの世の中。わたしの両親も、その25パーセントのうちの一組だったというだけなのだ。



だけどわたしは、このせいで不幸になったなんてまるで思わないような恵まれた人生を歩んでこられた。それは懸命に育ててくれた父と、愛を注いだ弟と、離れたけれど大切な存在に変わりなかった母のおかげで。

笑顔の多い有難い毎日だった。だけど、決して哀しくなかったとは言えないことも事実だった。


だからこそ、余計に思う。

結婚ってなんだろう。



いつしか、ゼクシィのコマーシャルから流れるメッセージも変わってきた。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私はあなたと結婚したいのです。」


結婚がすべてではなく、多種多様な選択肢のなかのひとつである、というこの言葉は多くの反響を呼び多くの共感を集めた。


結婚は、絶対ではない。

誰かにそう言って欲しかったという安堵の声が世間から聴こえた気がした。



時が経つにつれ、以前ほど結婚に対してつよい意志を持たなくなった今。

偶然、こんな映像を見つけた。



女優・安達祐実さんを、ご主人で写真家の桑島智輝さんが共に過ごす生活の中で撮り続けた写真集「我我」の膨大な写真たちと極めてプライベートなホームビデオに、今年YouTubeで記録的な再生回数を誇ったDISH//「猫」の楽曲が合わさったコラボレーションムービーだ。


学校のチャイムが聴こえる夕方。
ホットカーペットの上にぺたりと座り込んで、テレビの音量を消して。

安達祐実さんのか細い口笛とおふたりのひそかな笑い声からはじまる6分間を眺めた。


ーー愛だ、と思った。


たとえ喧嘩をしても険悪でも写真だけは撮り続けて良い、というおふたりの決まり事通り、笑顔だけではない安達祐実さんの表情。服が掛けられたままのソファ。ゆるゆるのTシャツでパンにかじりつく姿。決してレンズを向かずにこぼす涙。

生活をする。生きる、をする。

そこには映らないはずのシャッターを切る桑島さんのまなざしが、一瞬一瞬を切り取られた安達祐実さんを通して伝わってくるような温度感。


こんなことを言うと身も蓋もないのだけれど、わたしは本来、カップルの映像を見ることがあまり好きではない。

巷に溢れるYouTubeやインスタ、TikTok。
「一生」を「いただきます」のようなラフさで使ってエフェクトの向こうで笑う彼ら、彼女ら。


嫉妬や羨望ではなく、切なくなってしまうのだ。

その眩しさに自らが今まで幾度となく繰り返した別離を反芻して。「一生」を「ごちそうさま」くらい当たり前にやってくるものだと信じきっていたかつての自分を照らし合わせて。



だけど、この映像はどこか違った。

そもそも「猫」という楽曲そのものが、穏やかで普遍的な幸福を歌っているものではない。


家まで帰ろう 1人で帰ろう
昨日のことなど 幻だと思おう
君の顔なんて忘れてやるさ
馬鹿馬鹿しいだろ、そうだろ


作詞作曲をしたあいみょんが、映画「君の膵臓をたべたい」にインスパイアされて製作したという背景からも理解できるように、胸をぎゅっと締め付けるような突然の別れとそれでも忘れられないという感情が色濃く伝わる切ない楽曲だ。


この映像から薫るのはどこまでも濃密なおふたりの愛と、そして微かな別れの気配。

それはまるで、あの時最後まで消えなかった一点の曇りのように。おだやかな水面に墨汁が一滴だけ落とされてそっと波紋を拡げている。


その別れの気配の正体は、映像の終わりに桑島さんの直筆の文字とともに明かされた。


「 そして永遠でない毎日が続いていく 」


結婚は、永遠ではない。


結婚は絶対ではない、ゼクシィのメッセージが教えてくれた時のように。

わたしは、ずっと誰かにそう言って欲しかった。


そして、愛と別れはいつも共存している。

温かくてうつくしいだけではないその残酷な世界の真実を、結婚という道を選んだ側にいる誰かにこそ伝えて欲しかったのだ。



桑島さんの言葉を目にした瞬間、ほかほかのご飯をひと口飲み込んで長く居座り続けた魚の骨がぽろっと抜け落ちたような気持ちになった。

「結婚」という不安定で不明瞭な愛を、生まれてはじめてほんの少し信じられる気がした。


・・・


そんなおふたりの「我我」に続く新たな写真集が発売されている。

「我旅我行」と名付けられた続編の帯に安達祐実さんが寄せられたシンプルで過不足ないコメントに、わたしはまたひとつ愛を知ることになる。



「 私はもう貴方の私だけど、私だけの私に
戻ることもできる。そういう日々。 」



結婚は、永遠ではない。

愛も、永遠ではない。


きっとそれを知っているから、
信じてみたくなる、たいせつにしたくなる。



結婚って、なんだろう。

この難解な問いかけを探し求めながら生きてゆくのか、はたまた、思いもよらぬところである日偶然に見つけ出すのか。いつかその時まで、答えは分からない。答えがあるのかさえも知らない。


だから今はまだ、永遠でないことを知りながら愛を毎日をゆるやかに紡ぐおふたりの姿を眺めて。

そっと、そこに想像を馳せていたい。




価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。