それは、願いと呪いの言葉
「結婚おめでとう!式には行けませんが、心の中でみんなと一緒にお祝いしています。」
そこまで返信を打って、手を止めてしまった。
その後に続ける言葉を考えていた。
私は昔から、自分から突然別れを告げたくせに、最後に「しあわせになってほしい」と言ってくる男はクソだと常々思っている。
あなたにしあわせにして欲しかった。
あなたとしあわせになりたかった。
それなのに、ある日突然私を別れのナイフで突き刺した挙げ句、しあわせになってほしい?
クソだ。完全にクソだ。
大体、それを言ってる自分に酔っているくせにそのことに気付いていない、やたら深刻そうなその瞳も顔も、死ぬ程腹立たしい。
それは演技か?それともコントか?
あぁムカつく。どちらにせよクソだ。
そもそも私は、しあわせになって、という言葉そのものが嫌いだ。なんて独りよがりの傲慢な願望なのだろうと思う。
私が今後しあわせになるということを、何故赤の他人に依頼されなくてはいけないのかが、もはや全く分からない。
「しあわせになってね」「はい」
何の根拠もない、何の生産性もない、薄っぺらい期待だけが込められたそんな会話。
本当に虫唾が走る。クソみたいだ。
付き合うことは二人の気持ちが合わさって決められるのに、別れることは一人で黙って決められてしまうのはどうしてなんだろうか。
そんなのってない。ずるい、ずるすぎる。
かつて、長くお付き合いをしたひとがいた。
若すぎた私達は一度別れたのに、時が経って大人になって再会して、また付き合うことになった。
好きで好きでたまらないかと言われれば微妙で、そんなに相性がいいかと言われれば普通だった。
会話はそこそこで、趣味はあんまり合わなくて、笑いのツボはたまになら一緒で。
じゃぁどこが好きなのかと聞かれたら、さぁどこだろうねと笑ってしまうような人だった。
それでも、私はこの人と結婚するんだろうなと心のどこかで思っていた。
ビビビッもドキドキもないけれど、なんとなくしあわせなこういう毎日が自然と続いてゆけばいいと思っていた。
その日、彼は涙を堪えていた。
今泣きたいのはこっちの方だと言うと、そっか、ごめんな、と弱々しく微笑んでいた。
懸命にいろんな御託を並べては遠回しに別れを告げようとする姿に苛立ちの限界がきてしまった私は、要は別れたいってことで合ってる?と恐ろしく可愛げのないことを言って、その場を静かに終わらせた。早く終わらせたかった。
最後の最後、本当にこれでもう会わなくなるんだという瞬間に彼が口を開こうとしたので
「しあわせになって、って言ったら刺すよ。」
と制して、そこから二度と振り向かなかった。
月日が流れて、彼が結婚することを風の便りで聴いた。共通の仲間が多い私達だったので、結婚式に呼ばれるのかと案じていると、ついに当の本人から連絡がきた。
「知ってると思うけど、結婚します。みんな呼んでるけど、結婚式に呼んでもいいものですか?」
何年経っても相変わらず遠回しな文章に、思わず笑ってしまった。
馬鹿じゃない。行けるわけ、ないでしょう。
もう気持ちは全然残ってないけれど、笑ってお祝いできるほど私は優しい女じゃないよ。
「結婚おめでとう!式には行けませんが、心の中でみんなと一緒にお祝いしています。」
そこまで返信を打って、手を止めてしまった。
その後に続ける言葉を考えていた。
あぁ、言いたくない。
でも、あれしかないんだろうな。
自分の感情がしばしせめぎあって、ふっと息を吐いてから最後に添えた。
それは、願いと呪いの言葉。
何の根拠もない、何の生産性もない、薄っぺらい期待だけが込められた、私からのご祝儀。
それでも、そうとしか言えなかった。
もしかしたらあの時、彼もこんな気持ちだったのかなと思うと、今更になって少しだけ泣けた。
どうか、どうか。
「しあわせに、なってね。」
価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。