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掌編小説 | Signal


ねぇ、物事には相性ってものがあるじゃない。


白ごはんに、お味噌汁。
夏空と、甲子園。
終電間際の、帰りたくない。


じゃぁ、クリスマスイブには?

チキン、シャンパン、フレンチ、プレゼント、ライトアップ、ケーキ・・・



ぐつぐつぐつぐつ。

灰汁を取る作業は間もなく終わってしまう。
所在なさげに黄金色が輝くグラスの水滴を拭う指先は、いま何を考えているのだろうか。


ひとつだけ、先にお伝えしてもいい?

クリスマスイブに水炊き、って絶対間違いだと思うのよ。


--



鶏、豆腐、しめじ、白菜、つみれ。


「はいどうぞ」
「っつ、ありがと、」

急に声を掛けられたことに驚いたらしく、グラスからパッと離された指先はその勢いのまま熱い器を触った。あっつ、の「っつ」だけが聴こえて、大丈夫?と訊ねようかと思ったけれど。すぐにありがとうを被せたところを見る限り、この人はどうやらこの期に及んでもまだ格好つけようとしているらしい。タイミングを見失った私の言葉は、ふたりの間の湯気の中に消えてゆく。

私が作った訳ではなく、用意された鍋に用意された具材を入れただけの水炊きは、当たり前のように美味しい。大体そもそも鍋のチョイスで水炊きって、家でも作れるナンバーワンだし、せめてすき焼きかモツ鍋でしょう、いや出来ればやっぱり特別な日だったらカニすきが良かった、

と、次から次へ際限なく頭の中に湧き上がるモヤモヤを今はとにかく咀嚼に代える。黙っている、のではない。噛み締めている、そう思うと俄然力が湧いてくる気がした。
[〆は雑炊か稲庭うどんのどちらかをチョイス]って書かれてたけれど、絶対に稲庭うどんって先に言おう。そんな1時間後の決意を固めながら、水炊きの煮える音だけが聴こえるちいさな部屋の中で私はすべてを力強く噛み締めていた。



ぐつぐつぐつぐつ。

第一弾に投入した具材をひと通り食べ終えたあたりで、第二弾を投入する。鍋の向こうで動く指先は相も変わらず黄金色をなぞるばかりだ。


ねぇ、もうひとつ、お伝えしてもいい?

別れ話に鍋、っていうのも絶対間違いだと思うのよ。


さっきから、いや、今日顔を合わせた瞬間から。いつ話を切り出すかをずっと迷っているその背中を押すなんて、そんな残酷なことまで私にさせるのは違うでしょう。


--


鶏、豆腐、えのき、白菜、つくね。


「はいどうぞ」
「・・・ごめん、」

出ました、ごめん。

それは、何のごめん?
鍋をよそわせて?それとも、あなたが嫌いな椎茸と春菊ばかり食べさせて?


この嫌味ったらしい言葉も咀嚼するつもりだったのに、気づけば口から放たれていたのは自分でも聞いて呆れるような

「どういたしまして?とりあえず、先に食べよ。話は、それから。」

という、 “物分かりの良い彼女(まだ)” が言いそうなセリフ第一位の、まったくつまらない言葉だった。

あい、なのか、はい、なのか。
どちらとも取れないような返事をして下を向いた姿を目に映しながら、青い香りの苦味をゆっくりゆっくり、噛み締める。コロナの影響まだあるの、とか年始いつまで休みなの、とか日本中の大人達が交わしていそうな薄っぺらい会話をしているうちに、気がつくと鍋の中には澄んだ出汁だけが残っていた。

食事風景を見られていたのかと思うタイミングで現れたエセ和服のお姉さんが、〆のお食事はどうなさいますか、とふんわりした笑みを浮かべて私たちに尋ねてくれる。このお姉さんには、仲良くクリスマスイブを過ごすカップルの姿に映っているのだろうか。いやいや実はこれから別れ話なんですよねぇハハ、なんて言ったら一体どんな顔をしてくれるのだろうか。


「稲庭うどん、で。」

その声にびっくりして、顔を上げた。
いいよね?と目で訴えかけられたのでこくりと頷き返す。かしこまりました、変わらぬ笑みのままお姉さんは音もなく部屋を後にした。


「・・・絶対、雑炊って言うと思った。」
「咲(サキ)は、稲庭うどんでしょ。」

何で分かるの、という質問は愚問だった。

悠斗は椎茸と春菊が食べられない、と私が知っているように。私は雑炊よりもうどんが好きなことを悠斗が知っている、という只それだけのことだ。それは、私達が積み重ねた年月で得た互いのありとあらゆる情報のうちの、ほんのひとつに過ぎないことだった。


稲庭うどんは、咀嚼の必要がまるでない程につるつると喉を通ってゆく。あまりにもあっという間で呆気なく、ねぇもう一人前追加する?なんて柄にもない言葉が、今にもこぼれ落ちてしまいそうで。噛み締めることができない代わりに、美味しいね、という届かないくらいのちいさな呟きに時間をかけて変換させた。


ーー


「迷ってる。馬鹿な話なんだけど。」

残り少ない黄金色のグラスを端に避け、鍋のなくなった机で今日初めてちゃんと目が合った悠斗は意を決したようにそう切り出した。


「合コンに呼ばれて、いや、まずそれがごめんなさいって言わなきゃで。」

それは2週間前、悠斗本人から電話で聞いたのと同じ内容だった。


大学時代の友人に頼むから人数合わせで、と呼ばれた合コンで、彼はまさかと思いながらも一目惚れっぽい出会いをしてしまったらしい。その友人が所属していたサークルの後輩で、3つ年下の社会人1年目。似た業界に勤めていて、この状況にいろいろ不安で、と相談話が盛り上がり、あれよあれよと連絡先を交換。最初はただの先輩という立場で話を聞いていたけれど、段々頼られることに優越感を、そして、

「守ってあげなきゃ、とか思っちゃったりして。ほんと、馬鹿なんだけど。」

だそうだ。話は、こう続いた。


「咲はさ、強いじゃん。めちゃくちゃしっかりしてて、自分の脚で立ってて、何でも出来て。俺、そういう咲が好きなんだよ。それは昔も今も変わってない。」

ひとつも表情を変えずにうん、うん、と頷きながら机の下でスカートをぎゅっと握る。まぁまぁ高かったからシワにしたくない。
だけどそれ以上に、今、絶対に泣きたくない。


「だから、迷っちゃって。あの子のそばにいてあげたいっていう俺と、咲とこれからも変わらず一緒にいたいっていう俺と。咲と過ごしてきた時間は本当に大事で、俺にはもったいないぐらいの彼女で、俺の友達とかもみんなそう言ってて。お前マジでありえないだろって怒られて。」

悠斗は、まったく嘘がつけない男だった。

「・・・相談、したの?」
「え?あ、うん。山下にだけ。あ、山下って、」「知ってる。合コンに呼んだ人、その子と同じサークルだった人、でしょ。」
「そか、前に会ったことあるな。そう、その山下が、これ、咲に言うと絶対怒ると思うんだけど、」
「俺のせいでごめん、だよね。分かってる。言わないでいいよ。大体分かってるから。」
「っ、うん、山下にもそれは違うって、言って。俺が違うっていうのもなんなんだけど、」


一瞬引き戸に目をやってお姉さんが入ってくるのを待ってみたけれど、当たり前に扉が開くことはなかった。さっきはあんなにもナイスタイミングで現れてくれたのに。

ふっと軽く息を吐いてから、彼を見る。何日、何ヶ月、何年。ずうっと見つめ続けている、茶色がかった大好きなやさしい瞳。


「悠斗は、どうしたいの。三択だよ。私と別れる、その子を忘れる、どちらも選ばない。」
「・・・ずるいこと、訊いてもいい?」

きっと赦されると知っている、そのまなざし。
黙ったまま続きを待った。


「咲はさ、こんな最低なこと言ってる俺と、これからもやっていけるって思ってる?」




どうやら、お気に入りのスカートのシワは諦めたほうが良さそうだった。


「馬鹿じゃ、ないの、」

咀嚼したつもりが、溢れて止まらない。


「そう思えてなかったら、2週間前にあの電話がきたその瞬間に、もう別れてる。」

目頭が、熱い。握りこぶしが、痛い。


「何年、一緒にいると思ってるの。6年。365かける6してみなさいよ。2000日、2000日以上一緒にいるの。ばっっかじゃないの。一回、刺されろ。椎茸と春菊、両方の鼻に詰められろ。」


真っ直ぐ見つめて、見つめすぎて、このまま焼けてしまえばいいのにと思った。そうすればここで何もかも無かったことにできるのに。


「私が、強いのは、悠斗がいるからじゃん。なんで2000日も隣にいて、そんな簡単なことも分かんないの。迷うの。ほんとに、ばっっっかじゃない。もっかい刺されろ。深めに刺されろ。」



ひとつぶだけ、机に水滴が落ちた。


深く息を吐ききって。烏龍茶を一気に飲み干して。効果はなさそうだけどシワだらけのスカートを両手でゆっくりプレスしてから、立ち上がる。言葉を無くしたような悠斗の視線は、壁にかけられたコートを羽織る私を追い続けたままで。

「・・・迷ってる人と話すことなんて、これ以上何もない。」


--



最後まで開かなかった扉は、自分の手で開けた。

お姉さんにお会計は中の人が、と告げるとすべてを理解してくれたようなやわらかな笑顔でお気を付けて、と出口まで丁寧に見送られる。メリークリスマス、なんて言わないあたりが、別れ話に鍋ってもしかして相性良かったのかもな、なんて小さくなるエレベーターの数字を見つめながらぼんやりと思った。



外の世界に出ると、鼻の奥が一気にツンとする。
この痛みは我慢の証なのか、それとも寒さなのか。マフラーにめいいっぱい顔を埋めてコツコツとヒールを鳴らしながら駅へと早足で歩く私の姿を、サンタさんは夜空から見ているのだろうか。


立ち止まった信号。
街路樹のイルミネーション。

赤、青、金、銀。
ゆらり、じわり、目の前が滲む。


《 咲はさ、強いじゃん。自分の脚で立ってて。》

街中に溢れているはずの呑気なクリスマスソングは、悠斗の言葉を掻き消せない。

「いい子にしてた、はずなんだけどな。」

マフラーの中で子供じみたことを呟いて、また目頭が熱くなる。もう、スカートは握れない。



信号は、青になった。

真っ直ぐ、真っ直ぐ、前を見る。私は、強い。大丈夫。だいじょうぶ。

私は、強い。






「・・・っ、ごめん、俺、咲じゃなきゃだめだ。どんだけ刺されてもいい、  一緒に、いたい、」



とつぜん耳元に響いた、荒れた呼吸。低い声。


きつく回された震える手。

触れた頬が、熱く濡れている。



「   ばかじゃ、ないの、っ、」


そのまま、信号はゆっくり赤に変わってーーー、





         wish you a merrychristmas .




こちらの企画に参加させていただきました!
ラストシーンで皆さまの脳内に、back numberのクリスマスソングが流れていればうれしいです。

最後まで読んでくださってありがとうございました!どうか、素敵なクリスマスを^^



価値を感じてくださったら大変嬉しいです。お気持ちを糧に、たいせつに使わせていただきます。