祖父と1年同居して考えたこと
7月で、私が秋田に越してきて1年が経過した。
この1年、田舎で、祖父と暮らして、いろいろと考えたし、自分についても知ることができた。
現状の考え、感じていることについて、記録しておきたい。
祖父との距離感
自分に余裕があって、祖父にやさしく対応できる時間が続くと、祖父は饒舌になる。そして、おそらく祖母との距離感をベースとして家族の距離感になる。例えば、食事のあと、手羽先の残った骨を私の食べ終わった皿にまとめて下げるとか、たったそれだけのことなのだけど、私はその距離感が少し嫌だ。食事は、祖父のこれまでの生活でのスタンダードを変えないためや、食べる量を調節できるようするために大皿盛りが基本だけど、本当は私は銘々盛りがいいし、その場で食べきらないものに直箸は避けたい。高齢で、軽度の認知症の祖父に、その習慣を身に着けてもらうのは難しいだろうと、あまりそのことを祖父には伝えていないけれど、そういう、家族じみた距離感にストレスを覚えることがある。私の心理状態次第。
それは、相手が祖父だからなのか、両親や妹、また別の人なら感覚が違うのかもわからないけど、たぶん多かれ少なかれストレスは感じると思う。
私の機嫌が悪いと、手羽先の骨を私の皿にまとめてくるようなことはしないのだけど、突っぱねて遠ざけるのは、祖父の心理的安全性の確保、という面から避けたいこと。
距離感を保ちつつ、心理的安全性を確保した距離感で関係を続けていくことができたらいいと思いつつ、祖父の安心できる距離感と、私のそれが根本的に違うのだろうと思う。
人と暮らすということ
一人暮らしをしていると、自分の家は自分だけの完全なる空間。
人と暮らすということは、その自分だけの空間が、完全ではなくなるということ。自分だけの空間だったところに他者が介入する。
自分の部屋があったとしても、24時間、いつでも話しかけられる可能性があるし、共有スペースには自分以外の人の物があるし、自分以外の人が自分と違う使い方をする。
実家で家族と暮らしているとそれが当たり前だったけど、一度一人暮らしを経験し、自分以外の人の手が入らない空間を知ってしまうと、他人がいることの違和感は大きい。
自分の空間がなくなってしまうことは、結構しんどかったりする。
多分、私がパーソナルスペースが広く、あまり他者と交わりたくないタイプの人間だからというのは大きいと思う。
もし、今一人暮らしをするか、だれかと同居するか選択をするなら、家というリラックスできるべき環境でその違和感を抱え続けるという選択は、とらないだろうなと思う。
そう思うと、同居しているパートナー関係の人々はすごいなあと思う。
新しく家族を形成するということ
自認前、私もいつか、パートナーを作って、一緒に暮らしたりして、家族を作っていくんだろうかと考えたことはある。
結婚して、子供を産んで、親になる、典型的なライフプランを歩んでいくんだと思っていたことももちろんある。
でも、この1年、祖父との暮らしを通して、私が求めているのはそれじゃないな、と感じるようになった。
今、一緒に暮らしているのは祖父で、いわば血のつながりのある家族。
幼少期から、一緒に遊んでもらい、育ててもらったという自覚、記憶があるから、成り立っている関係だと思う。
これを、赤の他人と築いていくのかと思うと、途方に暮れる気持ちになる。
洗濯物の畳み方や食器の洗い方、キッチン用品の使い方やしまう場所みたいな些細なことで違和感を感じてイライラしたり、違和感に慣れるために自分の感覚をチューニングしたり、相手とルールを決めたりするなんて途方もないことは、正直やりたくない。
人とのかかわり方
私は、人と人として誰かと近づきたいというより、気に入った人のお気に入りの物になりたいという感覚が近い。
この人とお近づきになりたい、一緒にいたい、と思う人がいたとしても、私は無機物、無機質的な何かでありたいのだ。
一緒に暮らすと、どうしても、生理的な現象は避けられないが、そこは見たくも見せたくもない。
私は私としてただ在るというスタイルが多分強いので、マイペースっぽいですねと初対面の人にも見破られる。
それこそ高校生までは、周りの目を気にするイエスマンだった。特に、中学まで一緒だった親友に対しては、親友ながら金魚のフンでもあった。それだけ私にとって絶対的な存在だったけど、多分いつからか対等ではなくなっていたのかもしれない。高校で親友と離れて、自分の判断軸というものを探したが、学校の雰囲気が合わず、初期はまともに友達ができなかった。最初で転けてしまったのを結局最後まで引きずった。その間に自分と他人のことをたくさんかんがえて、大学では心理学系の学科に進んだ。そこから自分と他人の境界線が区別できるようになっていって、初対面にマイペースと言われるまでになっている。
祖父との関係でも多分そのスタンスは表れている気がする。
「あなたがやりたいというのであれば、私は手を貸しますが、それ以上にも以下にもあなたに対して積極的に行動を促したり、先回りして道を整備したりすることはしませんよ」というスタンス。私とあなたは別物ですという区切りのわかりやすい距離感。それは冷たく映るのかもしれないけど、「個」と「個」であるために必要な距離感だと思っている。
ただ、(おそらく初期の)認知症の祖父にとって、自分で計画や算段を立てておくということはもうできないから、完全にそのスタイルを通そうというのは、意地悪いことだということも自覚している。
すでに、「あなたがやりたいと言うのであれば」という相手からの申告を待っているのでは対等ではなくなってしまっている。だから、ある程度は、こちらが察して道を整えることの必要性は自覚して動いているつもりではある。そこはバランス感覚の問題。
祖父との時間
誰かと暮らすことに私の理想がないということが、この生活を通して見えてきた自分。
子供を育てない、と考えている今、子育てをしている人の苦労には到底及ばないけれど、人と暮らすときに求められる協調性、自分の思い通りにいかない存在が家にいること、を経験する、忍耐力をつけるという意味で、この時間はとても大切な時間で、自分にとって必要な時間だったということも同時に感じている。
そしてそれは、同時にすごく重いものでもある。
大げさに言えば、私の行動一つで祖父の人生をどうにでもできてしまうのだから。
祖父は多分初期の認知症だけど、それ以外は健康な人だ。でも、家系的に祖父の親兄弟は多くが60代で癌になり亡くなっている。そういう背景を考えると、いつお迎えが来ても不思議ではないと思っている。
そういう前提の中で暮らしていると、自分のメンタルと、何かあった時に後悔しないための行動のバランスを取るのがすごく難しい。
例えば、私の機嫌が悪いことが続くと、家の中は当然雰囲気が悪くなる。そういう時間が続いて最期を迎えてしまったら、私が移住して祖父と過ごした時間が全て無駄になってしまうのではないかという恐怖もあるし、祖父に対して申し訳なく思う。そして、そうしてしまった自分を嫌いになるし許せないと思う。
祖父には、平凡でも、同じ毎日の繰り返しでも、心穏やかに、小さな幸せを感じて欲しい。最後を迎えた時に、どう感じていたかは祖父にしかわからないことだけど、少しでも穏やかなものであってほしい。できれば、最後まで安心して家で暮らしてほしい。それが、私のこの生活の一つのゴールだと思っている。祖父にしかわからないことだから、何を持って達成となるのかは、その時にならないとわからない。でも、その時どうであったかによって、私がここへ来た意味が変わる。
ただ、それを達成するために、メンタルのバランスを取り続けるのもすごく難しいのも事実。
最近は、交友関係を作ることができ始めたので、穏やかになりつつあるけど、生理やら何やらで、またいつ崩れるかと思うと怖いことだ。
認知症と向き合う
認知症のおじいちゃん/おばあちゃんに会いに行ったら、忘れられてしまって誰かわかっていなかったという話を聞いた時、それがそんなに悲しいと感じるのかどうか、正直ピンときていなかった。
認知症なんだからしょうがない、その場で話を合わせて楽しくおしゃべりして終わったらそれでいいじゃん、くらいに思っていた。
でも、この一年で祖父と一緒に経験したこと、それが私ではなく、母との記憶として変わっていることが2度ほどあった時に、妙な悲しさ、寂しさがあってようやくわかった気がした。
一緒に過ごした、私のその時間は一体どこへ行くんだろうとか、これからの時間が全てどこかに溶け出してしまうような喪失感に襲われた。
本人にそのつもりがないのはわかっていても、存在を無かったことにされるのはこんなにもダメージが強いのかと思い知った。
そして同時に、これから投資しようとしている時間が、ただ溶け出すだけに思えて恐怖と虚しさが残る。
だから、自分で自分の時間を支える手立てを探す必要があると考えている。この土地で私が何かを成した証が欲しくなっている。
自分が生きた痕跡が残るのが嫌だといつも思っていたはずなのに。
憧れの田舎暮らし
ここに来た理由の一つでもある田舎暮らし。
年をとってからでは体力的にも厳しくなるし、移住してみて失敗だったとなっても、また引っ越しというのもなかなかできないだろうから、今、ある程度関係性のある土地で、田舎暮らしを経験しておくことは、自分のライフプランを考える上でもとても大きい。
田舎の暮らしは、忙しい。
スーパーが遠いから、車がないと生活できないし、祖父の時間に合わせると、買い物は週に1回で済ませるのがバランスが良い。
平日は仕事と3度の飯で1日が終わるので、掃除やら料理の仕込みやらを土日で済ませ、祖父のドライブや絵画展などに付き合うと、2日間の休日は実に短い。土日でも意外とまとまった時間がとりづらい。これを、年を取ってから始めるのは結構しんどそうなので、今経験できてよかったと思う。
そして、年を取ったら、車がなくても生活できる札幌の地下鉄県内に住もうと思った。
一方で、散歩をするにはとても良い環境。5分歩けば田んぼが広がるし、30分圏内に山も川もある。田舎なので、一回りが大きいせいもあり、かなり良い暇つぶしと運動になる。田んぼの中を歩くと、季節によっていろんな音やにおい、景色が見られることは、やはり田舎の大きな魅力。
庭のこはぜやイチジクで甘露煮やジャムを作るとか、そういう絵にかいたような丁寧な暮らしが楽しめるのも良い。
多分、この地を離れたら、もうこんな時間はやって来ないので、今を存分に楽しみたいと思う。祖父と一緒に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?