セラピストとしての自分・家族との関係性を思い出した、8か月だった

久しぶりにnoteを開いてみると、最後に更新したのは2019年12月16日だった。いつのまにか、約8か月が経ってた。

この数か月の間、noteを更新しようとしたかったことがないわけではない。たぶん、数回くらいはあったと思う。

けど、なぜだか更新できないまま、下書きで止まってた。


最後にnoteを更新したのは、沖縄に行った頃。

沖縄滞在中は『ブログを書こう!』という気持ちが高まって、noteを更新しなったような気がする。

本当なら、そのまま沖縄に住んでしまうつもりだった。

でも、年末年始・家族のことを考えると心配事がたくさんあって…『私がやってあげなきゃ…』と思い、実家に帰ることにした。

東京駅に着いた瞬間、股関節に謎の激痛が走り、それ以来、ほとんど椅子に座れなくなった。

『ブログを書こう』と思っても、股関節の痛みが強くて集中できなかった。頭がボーっとして、考える気力もなくなっていった。


『なんでだろう?』『なんでだろう?』

自分で対処しきれない予感がした私は、いろんな施術を受けた。でも、私の股関節~足にかけての痛みは、治まらなかった。

自分で緩めて、痛みが落ち着いてきても…お店に行って施術してもらうと、また激痛に襲われ、家に帰るのも辛くなる。

帰り道、激痛に耐えながら、『私何してるんだろうな』ってなんだか泣きそうになった。

痛みが落ち着くまでの数か月、いろんな施術を受けながら、セラピストとして考えた。

いくつも施術・セラピーを受けたけど、私が求めるものをみつけることも、予想外に素敵な施術に出会うことも、痛みが治まりかけて『また来よう』と思えることもなかった。

私はいつも、「大丈夫」とか「また来ますね~」と笑顔で都合のいいことを言って帰った。でも、本気でそんな風に思えることはなくて…施術・セラピーを受けに行くたび、虚しさを感じた。

そんな中で、私はずっと、彼らの施術・セラピーを自分のやっていたものと比較していたんだと思う。

私は、誰のどんな施術・セラピーよりも、自分がやってるものを受けたかった。自分自身に、自分ではできないことがあるのが悔しかった。


最終的に、セラピストだった頃に自分がやってきたことを、自分の施術・セラピー・話すことの大切さを…そういうものを思い出すための時間だったのかもしれないと思う。


数か月、いろんな施術・セラピーを受けて、1番『いい!』と思えたのは、自分の施術だった。

イメージの中で、自分をお客さんに見立てて、自分自身に施術していく。

そこには原因の追究とか、どこでどんな施術を受ければいいのかなんて答えはなかったけれど、ただ、体・心が全体的に整って、バランスが整ったような気がした。

そして、この痛みを緩和するには、体を緩めるだけではなく、環境を変えなきゃいけないのだと、改めて考えた。自分で、覚悟を決めなきゃいけない。決断しなきゃいけない。

家族とのこと

沖縄にいる間、どんどん元気になって、自分らしさを取り戻していくような感覚があった。

『こんなに元気で、やる気に満ちていて…今の自分なら、あの環境でもやっていけるかも』という期待があった。

『あの頃は確かにそうだったけど…彼らだって心境の変化はあるだろうし、もしかしたら何かが変わるかもしれない』そんな期待もしてた。


だけど、東京に帰ってみると、私が思っていたのとは違う世界が広がってた。

私はすごく元気で、楽しく話しかける。

でも反応はなく、むしろ、うっとおしそうにされてるような気がした。

相手の話を聞けば愚痴ばかり…気持ちはどんどん重くなる。

でも、『私は元気だから!』と、元気に元気に頑張った…頑張ってるつもりだった。『私は大丈夫』と思ってた…『私は大丈夫』なはずだった。

気づけば私はまた、自分の感情にも感覚にも蓋をして、何も感じることができなくなってた。心にぽっかり穴が開いてるような虚無感があって、満たされるような気持はなかった。

食べても食べても、何かが足りなくて。買い物をしても買い物をしても、何かが足りなくて、満たされない。

『あぁ、不足感を感じてるのは、心かもしれない…』

そう思っても、自分の心を満たす方法がわからなかった。

好きだったはずのものを『好きだ』と感じなくなり、嬉しくても楽しくても、気持ちは止まったまま。

お仕事依頼があって、ブログを書いて…だんだん、自分の心を思い出し始めた。

特にここ最近、いろんなことがあって過去に感じてた違和感を一気に思い出し、『離れなきゃ』と今に至る。(その流れの一部は、後日またnoteに書こうと思ってる)



自分が変わっても、彼らにも変化があったんだとしても…少し深い部分で、私たちの関係性はあまり変わっていなくて。

変われない自分がダメなわけでも、変わった自分なら乗り越えられる問題なわけでもなかったんだと思う。

人を悪者にしてるみたいで苦しかったとしても、自分の問題を誰かに押し付けてるような気がして自分を責めたい気持ちになったとしても、そんな風に自分ばかりを責めてはいけないんだと思う。

だからと言って、変わらない他人が悪いわけでも、他の人たちが何も変わらないわけでもない。

それぞれに思うところはあって、考えて、変化して…

でも、私にとって重要な部分で、私たちは何かが違ったのかもしれない。それぞれの大切にしてる何かが…


いくら物質的には安定・安心な環境に見えたとしても、自分の心が何も感じることができなくなって、虚無感の中で、意識がもうろうとした状態で過ごすのは嫌なんだ。

喜怒哀楽…いろんな感情を感じて、『あれやってみたい』『これもいい』『あれはダメだったけど、今度は…』いろいろ考えて感じて…もっと心が動くのを感じたい。

最後にお付き合いしてた人との関係も、そうだった。

生まれて初めて、『この人だ』と本気で思える人に出会えた気がした。

だから、違和感を感じても、その違和感を受け入れることができなかった。

『きっと、彼だって変わるはずだ』と信じて、待ち続けた。

…でも違った。

嫉妬・束縛・自信のなさ・自己否定・見放されることへの不安…。いろんな中で、彼はおかしかった。

『なんか、変だな…』と感じても、やっぱり見ないふりをした。その違和感を無視した。

彼が自信を持てないなら、彼が自信を持てるように促してあげればいいと思った。自分を否定するなら、私が彼を肯定して、そのままの彼が大好きなんだと伝えてあげればいいと思った。あなたは素晴らしいんだと伝えればいいと思った。

嫉妬・束縛…そんなものが必要ないくらい愛しているのだと伝えてあげればいいと思ってた。嫉妬・束縛…そんなものは我慢できると思ってた。

彼が昔パニック障害だったことだって、私なら問題ないと思ってた。

でも、違った。

いつのまにか私は、自分の感情をうまく表現できなくなって、彼の様子をうかがうようになった。機嫌が悪くなるのが恐かった。

『どうして怒ってるの?』『何にイライラしてるの?』言葉にすれば、「イライラなんてしてない!」と怒鳴られ、空気がピリピリした。

ピリピリした空気と、気まずい沈黙…。

理由もわからず、涙が出た。

涙が出ただけで、「はぁ。女は泣けばいいと思ってるんだろ?そんなの俺には通用しないからな」みたいなことを言って、「泣きたいのはこっちだよ!」と怒られる。

泣けばいいなんで思ってない。わざと泣いてかまってもらおうなんて思ってない。涙なんかで、人をコントロールしようとなんてしない。

でも、止めたいのに、止まらない。涙が止まってくれなかった。

今になって思えば、『なんで、そんなに必死にしがみついてたんだろう?』とか『いや、よれ自分が悪いんじゃなくて。彼、変だよ?』と思ったりする。でも、当時の私は、『ぜんぶ私が悪いのかもしれない』と本気で思ってた


私が自信を失い、動けなくなっていくと、彼は私の悪いところをどんどん責めてくるようになった。私は悪者になり、ダメな人間になっていった。

彼が実家に帰ると、なんだかホッとした。毎日の連絡はめんどくさかったけど、会わないというだけで気が楽だった。『明日帰るよ』と言われると、心がざわつき、『まだ帰ってこなくていいのに…』と思った。


友達や仲間に彼の話をする時、私は彼の良い所しか言えず、幸せそうなふりをして笑ってた。今になって思えば、嫌な何かを隠す時の癖が、思いっきり出てた。でも、あの頃の私は気づけなかった。

偶然出会った人に、「彼とは離れた方がいい」と言われた。彼に相談すると、スピリチュアル能力を持ってるらしき彼は、「その人には悪いものが憑いてる」と言った。私はそれを信じ、助言を聞かなかった。


最終的には、『やっぱり離れなきゃいけない』という思いが強くなって、別れを切り出した。「別れよう」と言った時、私はすごく笑顔で、嬉しそうだったらしい。

自分でも気づけないうちに無理をして、我慢してたんだと思う。

『私は、こんなじゃなかったはずなのに…』私はずっと、過去に縋り付いてるんだと思って、『ダメだ、ダメだ』と思ってた。だけど本当は、自分らしくいた頃を思い出し、自分を取り戻そうとしてたのかもしれない。

彼と私の関係は、何だろうか?共依存??

少なくとも私は、依存状態にあったのだと思う。彼のことを妄信していたのだと思う。

彼と離れた後、そんな状態になってしまった自分が惨めだった。バカだと思った。

でも、「そんな状態になっても、自分で気づいて、離れられたってすごくない? 普通、そういう時って離れられないんじゃない?」と言ってくれる人がいて、自分を『ダメだ』と否定して、責め続けなくてよくなった。

いろんな出会いがあって…私は自分の世界を広げるために、文章を書くようになった。セラピストを辞めた。

あの時、彼と離れることを決断できなければ、私はきっとセラピストに戻ることはなかったし、みんなの相談に乗ることも、それを広げて、もっと自分らしく人と関わる方法を考えることもなかったかもしれない。

セラピストでいることにこだわり続けて、文章を書くことだってなかったと思う。

あの時、彼とはなれることを決断できてよかったと思う。離れることができてよかったと思う。

そして、家族との関係性に気づくために、彼に出会えてよかったんだと思う。


そして今、私は家族と離れることを決断しようとしてる。…というか、私の中では、家族と離れる以外の選択肢が消えている。新しい世界に飛び込んでみたい。もっと自分の感情を感じたいし、自分の感覚を表現したい。

人の感情も一緒に感じて、楽しみたい。

私はたぶん、人に影響されやすい。大人になるにつれて、以前よりもずっとずっと影響されにくくなったかもしれない。

それでもまだ、影響されやすいと思うし、そういう自分のことも好きだったりする。

人によって度合いは違うけど…たぶん、人はお互いに影響しあって生きてるものだと思う。私は、『この人いいな』『素敵だな』と思える人たちと、お互いに影響しあっていきたいと思う。


この数年、家族とのことをたくさん、たくさん考えてきた。幼いころの記憶も思い出し、1人でずっと考えてきた。

人に話しても理解されないこともあったし、むしろ、ものすごく怒ってきたり、嫌悪感を示す人もいた。それも、仕方のないことかもしれない。『家族を大切にしなきゃいけない』と信じてる人にとっては、悪だったかもしれない。

でも、私はきっと間違っていないし、『これでいい』と今の私は信じてる。

「離れなきゃいけない」「もう離れる」と何度もいいながら、『自分の感覚を表現したい』と言いながら、何もできない自分が恥ずかしくて、ずっとずっと自分を責めてきた。

でもね、あの頃の依存関係にあった彼と離れる時だって、『離れなきゃいけない』『でも…』と何度も何度も葛藤してたんだよね。

『離れなきゃいけない』と思うのに、いつの間にか何も感じなくなって、『離れなきゃいけない』なんて思ってた自分が間違ってたかもなんて考えて…結局、違和感に気づいてから離れるまでにすごく時間がかかった。

そんなの、家族関係だったらもっと根っこは深いわけで…時間がかかるのも仕方ないようねって、今だから思う。


最近気づいたんだけど、このnoteには、家族とのことについて考えていた痕跡が少し残ってるみたいなんですよね。

きっと、いつかまた、家族との関係について、誰かに向けて『伝えたい』とかんじる時が来るんじゃないかなと思うんですよね。

だから今日も、ここに書いたものは消さずに残していこうと思います。

そして、ここ数日の、自分の気持ちを思い出すまでの流れを書いていきたいなと思います。



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