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犯人を捕まえるのではなく、いろんな感覚を体感したい。人それぞれ、違ってもいいよね。

私はセラピストとして、いろんな人に関わっていた。

たくさんのお客様の痛み、悩み、不調、ネガティブな感情を聞き、感じる。

お客様はそれを排除することを望み、私はそれを排除することを求められる。


私はそれを『悪者だ』と簡単には思えなかった。

私がそれを排除しようとしてた時期があるのは、お客様の信頼を得るためだった。また来店してもらうためだった。

でも、そこにあったのは、虚しさと苦しさばかり。


私は、心や体の発する…お客様自身が気づいてにいない、お客様の内側から発するサインを感じたかっただけ。それを伝えたかっただけだった。

数年前に感じていた思いが・・・夢に現れたような気がした。

夢の中で

夢の中の私は、警察官だったのかもしれない。

犯人を追いかけた。

『捕まえよう』と思えば、捕まえることができる距離まで追いついた。周囲に協力を求めれば、捕まえることはできた。

でも、私は捕まえようとしなかった。

ただ、私の後から追いかけてくる同僚を待ち、彼女に居場所を告げる。

そしてまた、逃げる犯人を追いかける…ふりをする。彼女が必死に追いかけているから。

彼女は足が遅い。

だから、私が先に追いかけて…彼女が来たら、彼女に伝える。

私は『犯人を捕まえたい』と思ってるわけじゃないし、犯人を捕まえようとはしていない。

ただ、犯人を追いかけていく中で、犯人の心の中にある不安、焦り、葛藤…いろんな感情や感覚を感じ、楽しんでるだけだった。

犯人は、そこにいた。
彼女との距離は、わずか数メートル。

私が『そこにいるよ』と声をかければ、すぐに捕まる。でも私は、声をかけなかった。気づかないふりをした。

「この辺にいると思うんだけど…」言ったまま、彼女が気づくか、気づかずに終わるかを見届ける。

犯人が『もう大丈夫なんじゃないか』と安堵しているのを感じる。

彼女がただ正義感から、犯人を捕まえようとしてるのを感じる。必死に探してる。

結局、彼女は諦めた。

※※※

帰り道、私は思った。

私は、犯人を捕まえることに興味はないのだ。

ただ、誰かの心を感じたり、いろんな感覚を体感することが好きなんだと思う私は、ただ‘自分の感覚’を楽しんでいたいだけなんだ。

誰かが言う、「だったら、被害者の相談に乗ってればいいんじゃない?」と。

『そうだな〜』と思っていろいろ想像する。

確かに、被害者の相談に乗った方が、私のやりたいことには近い。少なくとも、犯人を捕まえることよりも、ぜんぜん近い。

だけど違う。

私は、被害者の意識だけを感じたいわけじゃない。

ジャッチするのではなく、ただいろんなものを感じて、大きな世界を見てみたいだけなんだ。

配役があるならば…

犯人は、痛み、悩み、ネガティブな感情。

彼女は、痛みや不調をうったえてくる人、相談してくる人。

私は、私。

私のみる現実

痛み、悩み、ネガティブな感情…
人は、いろんなものを悪者にして、排除しようとしてしまう。

だけど本当は、その痛みにも、悩みにも、ネガティブな感情にも…そこにはちゃんと届けたい心の声があって、必要があってそこにいたりする。

それを悪者にして原因を探したり、排除しようとしても、根本的には変わらないことも多い。

それは誰かに教わるのではなくて、自分で気づくべきことなんだと思う。

自分で気づいたり、成長しない限り…同じことを繰り返してしまう。

セラピストとしての私にできるのは、治療でも、解決してあげることでもなかった。

『もしかしたら、こんなこと感じてない?』
『違った見方があるかもよ?』

私がしたいのは、本人が気づくきっかけを作ることだけ。その本質に気づかない限り、彼女はその形ばかりを追い続ける。

『きっと、あなたはそれだけじゃ満足しないんでしょう?』

『痛みの原因を理解させて、痛みを取り除くことでしか、満足しないんでしょう?』

『あなたが私に求めているのは、痛みや不調、疲れを取り除くことなんでしょう?』

セラピストとして店舗で働いていると、そんな風に感じることが多かった。

たぶん、あの頃のことを夢の中で感じていたような気がする。

最後に

私の中には、私の思いがあって、気づきがあって…いろいろ思うところがあるのだけど。たぶん、それをここに書くのは違う。

これを読んでくれた人に気付いて欲しいことがあるとすれば、『わたし、こんなことを考えて、こんなことができるんだよ…』という私の話じゃない。

この話を通じて思い出す、自分の中の記憶とか…そういう何かだと思う。

たぶん、この【最後に】というやつは不要なんだと思う。なのに書いてしまったのは、私の弱さだ。

本を読んで、ドラマや映画を見て、絵を見て、音楽を聴いて…そういう中で感じるのは、こういう【最後に】みたいなことを言わずに、誰かに委ねることができる強さを持っているんだなってこと。

たぶん、セラピストとしてマッサージをしていた私には、その強さがあった。

でも、マッサージにはお金が支払われるのに、私の感じていることをちゃんと理解してくれる人が現れない孤独感と。自分の感覚に対してはお金が支払われないという、むなしさ。

「友達だから」「今日はマッサージじゃないから」という理由で、自分の感覚を利用され続けることへの違和感と、疲労感。

そして、

痛みのせいにして、身体や心が発するメッセージに気づかず、お客様の心を傷つけるセラピストさんに何も言えない、無力感。

私が今まで感じてきたことを。
私の感覚をちゃんと表現していきたい。

そんなことを思い出させてもらった。


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