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「やりたかったこと」が終わったから、東京に帰ってきた。

石垣島に行く飛行機の中で、『何のために石垣島に行くんだろう?』と考えてた。
その時の私は、『そのまま石垣島で暮らすこと』を望んでいたんだけど、それがすごいプレッシャーだったし。なんとなく違和感も感じてた。

今なら、それが何だったのかがわかるような気もする。

あの時の私は、東京から、家族から逃げたかった。
それ以上に、自分の感情や感覚を見失っていて…、自分が何を好きで、何をしたいのかがわからなかった。

本当はもっと「心からやりたいこと」があるんだということは、わかってた。
だけど、それを実行することができなくて…、うまく動けない自分にいら立ちを覚えていて、動くためのきっかけが欲しかったんだと思う。

動けない理由は、きっと何かが違ってるからだと思ってた。
だから、その違ってる何かに気づきたかったし、自分が本当に望んでるものをもっとハッキリさせたかった。
1番は仕事だったけど…、それ以外の人生に関しても、方向性の確認がしたかった。

自分が何を好きで、どんな生活を望んでいて、何を着て、何をもって、誰と関わって…。
今後の自分がどういう生活をしていきたいかをハッキリさせることで、「心からやりたいこと」「自分の人生で1番叶えたいこと」に集中できる状況を作りたかったんだと思う。

私が東京に帰ってきた1番の理由は、「石垣島でやりたかったこと」が終わったから。
たぶんそれが、1番シンプルな答え。

※※

頭ではわかってた。
何度も何度も、そのことに気づく瞬間はあった。

だけど、石垣島で暮らしてる時の私は、毎日たくさんのことが起こって、たくさんのことを考えて、気づいて…、冷静に考える時間なんてなかった。

今までに感じたことのない感情を感じて、今までに感じたことがないほど感情の揺れが激しくなって…、本気で「石垣島で暮らすこと」ばかりを考えたりもした。
自分の気持ち・自分が本当にやりたいことよりも、「石垣島で暮らすこと」を優先しようとした。



だけどやっぱり、それに気づくためのタイミングもやってきた。
『東京に帰ろう』と決めた時、久しぶりに思い出した。

私は、石垣島で暮らすために、石垣島に来たんじゃなかった。

自分を癒して、自分を見つめて、今後の人生について考えて…。
何より、今の自分がどの方向を向いて生きていけばいいのかを確認したかった。

ブログを書くために、「どうやってブログを書いていけばいのか」「どんな感情でブログを書いていけばいいのか」「何を目指してブログを書いていけばいいのか」を確認したかった。

もしも石垣島の方がブログを書きやすい環境なら、そのまま石垣島で暮らしながらブログを書きたいと思った。


正直なところ、まだ、その明確な答えが見えたわけじゃない…と思う。

だけど、ブログを書くための、自分のブロックになっていたものに向き合うことはできた。
ブログを書くときの感情を整えるための、いろんなことが起こった。
そのためにも、自分の嫌な部分があぶりだされるようなことがたくさん起こった。

そして、何のためにブログを書きたいのか、何を目指したいのかも、なんとなく見えてきた。

…具体的な内容に関しては、まだよくわからない。
ただ、自分の感情・感覚を頼りに書いていけばいいんだということが分かった。
何より、私は、”わたし”であることを楽しんでいていいんだなって。それを求めてくれる人がいることを知った。
そして、私はたくさんの人に大切にしてもらえていたことに気づけた。


※※

「東京に帰る」という選択は、私にとっては逃げでも諦めでもなかった。
ただ、石垣島で手に入れたかったものを手にしたから、東京に戻ってきたんだと思う。

そしてもう1つ、石垣島ですぐに手に入らなかったモノがある。
だけどそれは、自分の感情だけで無理やり手に入れようとするものでも、コントロールするものでもない。

この4カ月、私にできることはやったと思う。
いつまでも、石垣島で『まだかな?』と期待して待ち続けていても仕方ない。
だから今は、物理的に距離をとって東京で、今の自分がやりたいことに集中しようと思った。
もう私にできることはない。…あとは待つだけ。

…これに関しては、自分の中に「逃げ」の気持ちがあったと思ってる。
だけど、『彼が頑張ってるから、私も、自分にできることを頑張ろう』と思えた。
いつのまにか彼のことを忘れかけている自分もいる。

それはただの「逃げ」ではないんじゃないかなって。


※※

こんなことを書いてるのはさ、石垣でもらった言葉が理由だったりする。

石垣にいる間、たくさんの流れがあった。
中には、『すごく楽しそう』と思ってワクワクしたものもあったし、ものすごいエネルギーを感じる場所で働くことを求められることもあった。
だけど私は、その流れを全部見送った。

『流れが来たから』『せっかくチャンスが来たんだから』と思って、焦ってその流れに乗っても、そこに自分の幸せがないことを感じたから。

変化が恐かったわけではなくてね。
その流れに乗ってしまったら、私は大切なモノを見失い、足元が不安定なことに気づき、心の中で孤独感を感じ続けることになる…そんな未来が見えたから。

その流れが来たことがきっかけになって、「自分が大切にしたいもの」が浮き彫りにされてく。
それが私の流れだったから。

だけどさ、きっと、私が『そういう流れ』と感じたなんて、誰も知らないんだよね。
だって私、誰にも会わずに、一人で向き合ってたんだもん。…そういう時期だった。

だからさ、『私が流れにのれなかった人のように思われたのかな?』と思うような言葉をかけられたとき、私はなんかモヤっとしちゃったんだと思う。
そのモヤっとした感覚が今もまだ心に残ってるような感じがしてて…、だから、誰かに聞いてほしかった。

…いや、自分自身で、そういう他者の言葉にモヤっとしたことに気づきたかったし。
『あれは、相手が相手の基準で発した言葉だったんだな〜』って確認したかった。自分から切り離したかった。

それにね、
他者がどう思おうが関係なく、私は自分の感覚で、自分の流れに乗って、自分にとってベストな選択をしてる。
だから、他者の意見に左右されない、ブレない自分になりたいなって。

そんな気持ちがあって、文章にしたんだと思う。

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