EXITの優しい笑い
お笑いに詳しい訳ではないのだが、最近、我が家ではEXITが出ているテレビ番組がかかっていることが多い。なんと言うか、EXITの笑いは心穏やかに見ることができるからだと思う。誰かを貶したり、バカにしたりしないし、端々から優しさとか価値観の柔軟さみたいなものが伝わってくる。
そう言えば、数年前、人気のお笑い番組で、若手芸人が購入した新築のマイホームの室内をめちゃくちゃにする、という企画があって、すごいショックを受けた。カレーをテーブルや床にぶちまけたり、物を壊したりしていて、やってる人達にとってはおもろいジョークなのかもしれないが、どうにも嫌な気持ちになったのを覚えている。
いろんな感性があるんだろうが、少なくとも私は笑えなかった。視聴者全員を笑わせるのは不可能だろうし、お笑いを極めている人たちのセオリーみたいなものもあるのだろう。でも乱暴な事をしたり、言ったりしないと笑いって取れないのかな、それで嫌な思いをする人がいるんじゃ、「お笑い」は本末転倒ではないのかな…などと素人ながらに困惑もした。
視聴者の嗜好は時代と共に変わる
ここ数年の間に、フジテレビはゲイの人を笑いの「ネタ」にする保毛尾田保毛男を止めると発表した。最近ではくりぃむしちゅーの上田慎也さんが、第1子を出産した北川景子さんの産後の苦労を軽視するようなツッコミをして批判が出ているようだ。誰かを傷つけるかもしれない、ある意味「鋭い」笑いは段々、時代に合わなくなってきているのかもしれない。
そういえば、昨日見た深夜番組は「愛の不時着」に出演している韓流スターの追っかけをする40代くらいの女性を取り上げていた。その俳優に感化されてボランティアを始めたというその女性の生き方も素敵だなぁと思ったが、スタジオの芸人やタレントも編集の仕方も「いい歳して…」「変わったオタク」みたいな色眼鏡はなしで、女性の生き方を尊重しながら、ゆる〜く面白い感じがなんかいいなぁと思った。
新しい価値観で表現の幅は広がる
テレビ番組や広告は老若男女問わず目にするものだから、その中で繰り広げられることが無意識に世の中の前提を作り出したり、逆に世の中のものの見方を反映したりする。ところが私が身を置く出版や広告の業界では、女性蔑視、少数者差別的な表現に対する批判が挙がる度に「表現の幅が狭まる」「窮屈な世の中になったもんだ」と嘆く声もまだまだ根強いのが現状だ。
でも…と思う。新しい価値観が生まれてるのに表現が狭まる訳はなくて、むしろそこに新しい表現の可能性が生まれてるっていうことなのではないか。「窮屈だ」ったのはむしろ、一定の層に刺されば、他の人がどう受け止めるかは気にしないってあぐらをかいていた従来の表現方法の方だったのだろう。
男とか女とか世代とか、そういう属性によって考え方に多少偏りがあるのは仕方ないとも思う。でも少なくとも表現したり発信したりするプロであるならば、新しい表現を常に模索し続けるべきだし、今の読者や視聴者はどういう風に受け止めるかに敏感でなければ良いコンテンツは生まれない。
そこを批判されて前述のように居直るのは、ジェンダー云々、古い価値観云々の前に、消費者のニーズや嗜好をきちんと把握できてない(つまりマーケティングの失敗である)点でも問題だし、表現のプロとしても失格だ。共感は出来なくてもせめて、色んな視点から商品を見直して、トラブルを回避したり備えたりするくらいはしておかないと。
EXITは希望の扉?
話はやや逸れたが、EXITのような優しい笑いが支持されて、たくさんテレビに出ているということは、そういう価値観を好む人が増えてきているということだろうし、そういう世の中になっていくのかなと思うと希望も感じる。
誰かを笑わせる為に、誰かが泣く必要なんてない。EXITはじめ、マイルドなバラエティー番組が台頭してきたことは、古い価値観からのEXIT(出口)かもしれない…なんて。
お後がhere we go!照
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