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帰ってきた自分の言葉

くも膜下出血で倒れてから、記憶障害と言語障害が残ってしまいました。脳出血を起こした時に、血液を被ってしまった脳の部位は細胞が死んでしまいます。

一度死んでしまった細胞は元に戻ることはありません。でも、脳はなんとかして別のルートで回復を試みます。

軽い後遺症だとしても、前との違いを受け入れていくのは大変なものですね。

私の場合は、言葉が遠く感じて、話そうとしても言葉が出てこないことがあり、話したいことを話したいように話せないもどかしさがあります。

名詞を聞いても思い出すまでの時間がかかってしまうこともあり、日常的に触れていない言葉は今も取り戻してはいないように感じます。

ただ、神様はこうやって文字を書くことは私に残してくれたようで、書いていることで思考がまとまり、自分の想いを伝えることができます。

時間は前よりもずっとかかるようになったけれど、これは別のルートを鍛えていけばなんとか克服できそうです。

自分の言葉というのは、当たり前に読んでいても心地の良いものだったりします。ああ、この言葉は私から発せられた言葉だなあと。

言葉のチョイスもそうだけれど、言葉と言葉の間に息継ぎみたいなものがあるから、読んでいる自分との差を感じない。

きっと、あの人の言葉が好きとか、あの人の文章はすんなり入る理由は自分に似ているものや、奥深くに眠っている言語として表現されていないものが言葉の中にあるのだと思う。

そんな自分の言葉だから、誰かが真似をしても書いている本人にはわかるもの。

今年は、くも膜下出血の後遺症とあることが原因で、自分の言葉が行方知らずになってしまいました。

私の言葉は一体どこにあるのだろうと。

何が自分の言葉なのか。発した言葉はまた誰かに改変されてしまうのかと、処理できずに混乱していました。

まあ、言葉なんて誰のものではないこともわかってるんですけどね。

でも、昨日あたりからようやく自分の言葉が帰ってきた気がします。

お店のサイトの言葉を書いては消し、書いては消し、ようやく私らしい息づかいの言葉が出てきて、読んでもすんなりと入ってくるようになってきました。

きっかけは、ここ2ヶ月の間、ずーっとBUCK -TICKを聴いていることでした。櫻井さんの歌詞はやさしい言葉で、櫻井さんの世界が描かれていて素敵だなあって。

短い言葉で、心に振ってくる歌詞が広がりながら、私の記憶を引き出してくれるような感じがします。

脳損傷に音楽を聴くことは、脳の可塑性を上げると言われています。私みたいに左脳を損傷して言語障害がある人にも、歌というものは使っている脳の部分が右脳の為に良い影響を与えるそうです。

いまはこんなふうに思いついたら、私の言葉でnoteを書いていけたらいいなあと思います。

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