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「諸行無常」を構造的に捉える(β版)

個人的に釈迦が説いた初期の仏教は「世の中についての考え方」が面白いと思っています。なので、その考え方について私なりに捉えてみる試みをしようと思います。今回は「諸行無常」という考え方について捉えてみます。

諸行無常とは

諸行無常とは言葉で説明するとどういうことか、佐々木 閑. NHK「100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば, NHK出版. Kindle Edition, から引用します。

この世で起こっているものごとの正しい姿とは何か。それはすなわち、「すべてうつろう」ということです。すべてのものは時々刻々と変化するのであり、永遠不滅なものなどどこにもない。これを諸行無常と言います(Kindle Locations 599-600)
「因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である」(諸行無常)と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。(Kindle Locations 628-630)

諸行無常は「変化しないもの(常)などない」ということですね。当たり前のことですが、自分について考えてみても、時間が経てば物理的に成長したり老いたりしますし、心の面でも考えが変わっていきますね。

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変化し続けるのは「因果関係によって作り出されるもの」としています。たとえば、「今の私」は「過去の私」から繋がっていることはもちろん、「過去の他者や環境」などからも影響を受けて変化するということになります。

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また、「過去の私」からは「今の私」が影響を受けるだけでなく、「今の環境や他者」に対しても影響を与えています。これが連鎖し続けていると捉えられます。かなり大げさですが、今の私は過去のあらゆるものの結果になりえて、未来のあらゆるものの原因になりうる、ということです。

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諸行無常をベースにした対人関係の捉え方

さて、ここからは諸行無常をベースに私の対人関係に関する考え方を一つ紹介します。あらゆるものが変化し続ける、そしてその影響が連鎖し続けるならば。直接自分と関わりがなかったとしても、私はあらゆるものに少なからず影響を与えるし、逆に私は直接自分と関わりがないものから影響を受けることになります。そう考えると「自分と他者の境界というのは意外とあいまいなものだ」という感覚になります。

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なので「自分さえ良ければ他の人はどうでもいい」や「自分はどうなってもいいから誰かが良くなれば良い」という考えは成り立たないな、と思っています。自分さえ良くなろうとしても、自分以外が良くならなければ、結果的に自分に返ってきます。逆に、自分以外が良ければいいとしても、自分が良くならないならば、結果的に自分以外にも悪影響が出ます。

なので、「自分も自分以外も良くなるように、今の自分ができることはなにか?」と考えるように心がけるようになりました。

また、このような連鎖を考えると、過去からどのように影響を受けるかを自分でコントロールすることの重要性を感じられます。自分が悪い影響を受けとめてしまえば、自分だけでなく他者や環境に対してもまた悪い影響を与えてしまうからです。

たとえば、誰かにイライラをぶつけられたとして、自分もつられてイライラしてしまうと、自分と関わる人をネガティブにさせてしまうこともあります。そのネガティブさが、また自分に返ってきてしまうこともあります。

一方で、自分がイライラをぶつけられても落ち着いていられれば、他の人を更にネガティブにさせてしまうことはありません。それ以上のイライラの連鎖を防げます。

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おわりに

今回は諸行無常についてと、諸行無常をもとにした対人関係の考え方について紹介しました。なお、関連する考え方に諸法無我というものがあるのですが、それはまた別途紹介したいと思います。世の中には色々な考え方があるので、小さく試してみながら、自分に合うものを取り入れてきましょう。


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