いつでも空芯菜が売っているとは限らない。

ミニマリスト。

そんな言葉に憧れもするが縁遠い結果を招いているのが我が家の現状。

元々心配性な部分がある為、ストックが多少ないと落ち着かないし、外出する際の荷物も人より多い。一緒に出かけようと待ち合わせ場所に現れる友人の荷物の少なさに驚愕する。スマホの充電が切れたらどうするのだろうか?などと思うが振り返ればそんな時は大概自分がカバンからポータブル充電器を取り出し渡している。

そうか、だから友人の荷物は軽くて住むのだ。貸す私も私で正直それでお役に立てたとまんざらでもない気持ちになる。

また、あれやこれやと荷物を持っているにも関わらず、いざ必要とするものが入っていない事がある。いつもは大概持っているのに…と悔やんでいると友人が財布とスマホしか入ってないような小さなカバンからその必要としているものを取り出し、貸してくれる事があるのだ。

荷物の少ない人は要領が良いのだろう。「必要最低限」と言う範囲がしっかりと把握出来ていると思う。

そんな友人達に憧れの気持ちを抱き、必要とするものは必要な時に買えば良いではないかと思う事もしばしば。

スーパーで珍しく空芯菜が売っていた。

中華料理店で青菜の炒め物として出てくる非常に好きな野菜であり、即購入することを決めた。問題はいくつ買うか?である。普段の自分なら2束買っていたのだが、ふと頭にミニマリストな友人の顔が浮かんだ。彼女なら間違いなく1束しか買わないであろう。たまには彼女を見習おうと思い1束購入して帰宅。空芯菜をにんにくとごま油で炒めて夕食にした。美味い。自宅で炒めるだけでこんなに美味しい野菜があるだろうか。美味しさを噛み締めて翌日を迎えた。

今夜も空芯菜が食べたい。

こんなことなら2束買っておけば良かったと後悔の念に取られた。あの時何故ミニマリストの友人が浮かんだのか…。悔やんでもの致し方ない。買いに行けば良いではないか。運動不足も多少解消するし前日に食した美味しさを再び味わう事ができるなら良いことづくめではないか。そう頭を切り替え珍しく空芯菜が売っていたスーパーへ歩いた。


空芯菜が並べられていた棚には青梗菜が並んでいた。

違うのだ。空芯菜と青梗菜と一緒にしてもらっては困る。周りを見渡してみたが空芯菜は売ってなかった。そう。珍しいのだ。空芯菜が売っていることそのものが。

中国圏内ではもしかしたら日常的に売っている玉ねぎや人参のように売っているのかもしれないがココは日本なのだ。

そう、空芯菜がいつも売っているとは限らない。

昨日2束買っておけば…こうして私はまたミニマリストとは程遠い生活を送るのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?