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浦島太郎

お盆休みを迎え、親戚や兄弟がこの家には集結する。3歳下のいとこが結婚相手を連れてやってきたり、3歳下の弟が友達2人と家の前で集合したり。

私には仲の良い同世代の友達もいなく、その世代の人たちがどんな風に変わっているかも全く知らない。
だからいとこや兄弟から同世代の人が得るであろうライフイベントや経験を感じる。 

結婚も相手も愚かおろか、恋愛でさえないに久しい
自分。
弟の友達は見たのが小学生が最後だったが、あの頃の面影を残しながらも大人だった。 
みんなが経験している部分が私の人生にはすっぽり抜けている。愛し合える人も、互いに思いやれるような友達もいない。
みんなは若い頃の活発さから徐々に落ち着きをもち始め、肌などもあの頃と変わっていた。

私だけ子供だった。
まだ何一つ落ち着かない私がいる。精神的にも、経済的にも未熟で、肌の若さを褒められることがあるが身体的にも幼い表れなのだろうか。

今日の1日。姪っ子と遊びたいと思って新聞紙でパイナップルの頭みたいな、お祓い棒みたいな棒を作った。
別のものも新聞で作りたくなって、不器用だから出来栄えばひどいのだけど三角帽子、ふさふさのついたベスト、ふさふさのスカート、盾が仕上がる。イメージはアフリカの少数民族の衣装。

小学生の頃、図工の時間に夢中で作る、誰の為でもなく自分の為に時間を使っていたあの時が好きだった。
今日も姪っ子の為じゃなくて自分の為に作りたいという気持ちだった。

出来上がったものを弟、祖母、私の順で着てみる。
民族感は出ている。私は衣装を着用し、棒で母を攻撃する。もちろん新聞紙でできたお祓い棒みたいなやつなので攻撃力は皮膚がかゆくなるくらいだ。

まあこんなことが楽しいくらいなので私はまだ当分大人にはなれないだろう。ちょっとセンチメンタルな浦島太郎感になりながら、ちょっとしか進まない人生の船を理解している自分もいた。



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