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大内さん(東松島)楽天7位指名 日本ウェルネス宮城高 プロ第1号

プロ野球ドラフト会議
「育ててくれた地域に恩返し」

 プロ野球ドラフト会議が26日にあり、東松島市にある日本ウェルネス宮城高校3年の大内誠弥投手(17)が地元の東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受けた。石巻地方の高校から現役でプロ入りするのは初めてとなり、同校も創立わずか4年目の快挙。生まれも育ちも東松島の大内さんは「育ててくれた地域への恩返しが一番の目標。楽天の投手の柱になれるよう頑張り、プレーで皆さんに勇気を与えたい」と喜びを語った。【山口紘史】

チームメイトから祝福の胴上げを受ける大内さん

 大内さんは東松島市赤井出身。身長191㌢、体重77㌔の長身細身。最速144㌔の右腕で、角度のある直球や切れ味が鋭いスライダー、フォークを繰り出す。

 赤井南小1年時にスポ少の大曲ドリームズ(現・東松島ドリームズ)で野球を始め、平成29年の石日旗少年野球大会(石巻日日新聞社主催)ではエースとしてチームを準優勝に導いた。矢本二中時代は東松島リトルシニアに所属。日本ウェルネス宮城高校に進学後は硬式野球部2期生として1年の夏からベンチ入り。3年春から主戦投手として活躍した。

 春季県大会ではセンバツ出場の強豪、東北高を相手に7回4被安打11奪三振3失点(自責1)と好投。夏の甲子園県予選は二回戦でシード校の古川学園に敗れたが、プロスカウトの注目を集め、伸びしろの大きさが評価された。

 ドラフト会議は、ウェルネス高宮城の控室で学校関係者やチームメイトとともにライブ配信を見守った。楽天の7位で大内さんが指名された瞬間、控室は仲間の「うぉー!」という歓喜と拍手に包まれた。

 楽天ファンで試合も見に行くという大内さんは「いつもスタンドから見ていた選手と同じユニホームを着てプレーするというのはすごいこと。10年前の楽天の日本一は勇気をもらった。いつか自分もそんな立場になりたい」と話していた。

 同席した東松島リトルシニア会長の渥美巖東松島市長は「本当にうれしい。小さい頃から知っているので、孫がプロに入った気持ち」と目を潤ませた。

 自宅でライブ配信を見守ったドリームズ時代の監督の安海宇秀さん(59)は「細くて小さくて負けず嫌いでいつも泣いていた誠弥がプロ入り。立派に成長した。ここからがスタート。体を大事に励んでほしい」とエールを送った。


「地域を背負う気持ちで頑張る」と意気込みを語った

大内さん一問一答
「投手の柱になりたい」

―東日本大震災時は。
 発災時は5歳。赤井川前の自宅から矢本二中に避難し、校舎の窓から津波も見た。復興が進む中、楽天の日本一に勇気付けられた。
―今の喜びをまず誰に伝えたいか。
 ここまで育ててくれた家族に感謝したい。
―指名を待つ間は。
 最後の方は「もう無理かな」と思った。名前が呼ばれた直後は実感が湧かなかった。
―楽天への思い出は。
 震災2年後の平成25年に日本シリーズを制し、楽天が日本一になった瞬間。大きな勇気をもらった。皆に勇気を与えられる投手に自分もなりたい。
―憧れの楽天選手は。
 岸孝之投手。制球力と緩急ある投球、きれいな真っすぐは見ていて気持ちが良い。自分も岸投手のカーブを参考にしているので直接アドバイスがほしい。
―自身の武器は。
 角度を生かした直球だが、威力や変化球の精度は課題。しっかり体作りし、スピードも回転数も良い真っすぐを投げたい。
―対戦したい打者は。
 福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手。
―プロを目指したきっかけは。
 高校入学時は全然結果が出なかったが、監督の指導でフォームを改善し、今春の県大会の東北高との一戦で自信が付いた。古里への恩返しのためにも、自分の可能性を信じて進んでみようと思った。
―プロ入り後の目標。
 楽天生命パークで投げ、試合に勝ち、ローテーション入りして投手の柱になりたい。
―地域の子どもたちにメッセージを。
 自分も小中学校時代は、まさか指名が受けられるとは思っていなかった。夢を持つ人は諦めずしっかり練習してほしい。自分も地域を背負う気持ちで頑張る。


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