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「ずっと他人事だと思っていた」当時高校生・千葉沙織さん(26)

 IT技術者を育成する一般社団法人イトナブの千葉沙織さん(26)=石巻市八幡町=は東日本大震災当時、石巻工業高校建築科の1年生。あの日、高校は春休みで、同市茜平の実家2階でインターネットサイトを閲覧していた。激しい揺れが襲ったのは祖母と両親が名取市の病院から帰宅した5分後。重度の知的障害がある姉は施設の行事で石ノ森萬画館を訪れていた。【近江  瞬】

 経験したことのない縦揺れにおびえながらもとっさに母親の頭に枕をかぶせ、必死にテレビを押さえた。1階から父親の「気を付けろよ!」の声が建物の揺れる音にかき消されるように響いた。家屋被害はなかったが、石塀が崩れていた。

 父親の判断で午後3時過ぎ、姉と合流して家族5人で高台のしらさぎ台に車で避難した。一家はその日のうちに帰宅。しかし、頻発する余震への不安から車と自宅1階で一夜を明かした。

復興の階段 千葉沙織さん (13)

小中学生向けのプログラミング教室を担当する千葉さん

 千葉家では電気が3日、水道は約1週間で復旧し、ガスはプロパンガスだったために不便は少なかった。5月ごろに学校が再開するまでは「ずっと漫画を読み、ゲームばかりしていた。自宅も被害がなく、親族もみんな無事。高校生だった私にとって震災はどこまでも他人事だったのだと思う」と振り返る。

 一方、この9年8カ月の間、幼いころに遊んだ公園の多くに仮設住宅が建ち、田んぼだったところに集団移転団地が整備された。他人事だと思っていた震災の津波が内陸部の景色を変えていくのを目の当たりにした。

 パソコンに触れることが好きだった千葉さんは高校卒業を控えるころ、仙台市内のデジタル系の専門学校を志望した。しかし、当時はまだ仙石線の全線復旧前だったため、最終的に地元の石巻専修大学経営学部に進学した。その大学生活の中で出会ったのが震災を機に石巻に発足し、千葉さんが卒業後に勤めることになったイトナブ。在学時から積極的に関わり、そのまま就職した。

 4年目の現在は小中学生向けのプログラミング教室を担う。生徒の中には震災直前に生まれた女児もおり、その子も今や小学4年になった。千葉さんが改めて周囲を見回すと生徒や友人、同僚など大切な人たちは皆、震災後に出会った人ばかりと気付いた。

 「正直、被害を受けてないから言えるんだと思う」と前置きした上で「ずっと他人事と思っていた震災が、今こうして振り返ると進学や就職などさまざまな場面で私の人生に大きな影響を与えていたことを知った。知らず知らずのうちに自分事となっていた。震災があって良かったとは思わない。けれど、あの日から多くの変化があって私は今ここでみんなに囲まれている」と言葉を選びながら打ち明ける。

上がり下がり経て 7段目

 復興の階段が10段目まであるとすれば「自分がワクワクできるかどうか。上がり下がりを繰り返し今は7段目くらい」と語る。震災当時高校生だった千葉さんは今や小中学生を教える側。ワクワクさせてもらう立場からワクワクを生み出す立場に変わった。「地域のために何ができるか、今は自分事として考えている」と前に向かっている。


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