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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部英吉と達② 昭和7年【記念すべき初対面】

(随時掲載・第1部全12回)

 私の目の前に昭和7年に書かれた小室達の日記があります。今いる場所は「しばたの郷土館」(柴田町)です。

 平成28年、伊達政宗公騎馬像(政宗像)を達が制作した時の工程や心情、時代背景について調べました。制作期間は昭和8―10年の1年半でしたが、しばたの郷土館に保管されている達が残した日記(昭和3―27年)や写真、新聞の切り抜き(いずれも非公開)を見ることができたので、制作者目線で調べることができました。半年かけて約500日分の日記と達が撮影した写真、当時の新聞記事に目を通しました。

 その後、平成30年6月に東京のギャラリー南製作所で開催された小室達展に足を運んだのがきっかけで、さらに達の足跡が知りたくなりました。昭和3年の日記から読み始めると昭和6年に石巻訪問のことが出てきました。そこには、石母田正輔や佐藤露江、渡辺忠右ヱ門、郷土社書房、松泉堂という店名が書かれていました。

②7年日記 (2)

達の昭和7年の日記。この中に英吉の来訪を記している

 さらに読み進めると、昭和7年9月20日の「午前中石巻出身の高橋君(美校木彫二年生)来訪し中田耕治君からの依頼品をとどけてくれた。雲丹の瓶詰四個持参してくれた」という文章が目に留まりました。英吉が登場したのです。美校2年生の英吉がどのような経緯で達を訪ねることになったのかは不明ですが、これが初対面でした。

 明治32年生まれの達は、英吉より12歳年上です。柴田町入間田で過ごし旧制白石中学校(現白石高校)から東京美術学校(美校)へ進学しました。卒業後は、東京都杉並区永福のアトリエで作品制作に励みました。

②英吉美校2年

美校2年生の英吉(前列右端)

 昭和7年は「光明皇后施薬之像」の制作に力を注いだ年でした。当時のアトリエの写真を見ると何体もの作品が並んでいるので、英吉はこれらを見ながら憧れの気持ちを持ったことでしょう。そして、同郷で美校の先輩と彫刻に関する話に花を咲かせたと思われます。達は石巻で会った人や立ち寄った店のことを話したかもしれません。

 英吉がガダルカナル島で亡くなったのが昭和17年。初対面からの10年間でどのような交流があったのか知りたくなり、夢中でページをめくりました。

 約500日分をめくった昭和9年3月に英吉の名前が再び出てきました。この頃は、達が政宗像を制作していた時期です。以前にもこのページを何度か見ていたはずなのに気付きませんでした。出会いから2年、英吉が美校4年生の時のことでした。【鈴木哲也】


石巻が育てた天才彫刻家たち-02-01


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