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復興の象徴 内海橋開通 変化し続けるまちなか

 東日本大震災後、東北沿岸部は復旧・復興工事で、その風景を大きく変化させた。石巻地方も例外ではなく発災からきょうまでの日々で、今までの景色がなくなり、今までになかった景色が生まれた。特に今年は石巻の中心市街地で、4代目となる内海橋が供用開始されるなど、象徴的な1年だった。【近江  瞬】

 今年の石巻市の中心市街地で最も大きな話題の一つが、県が災害復旧事業で架け替えた一般国道398号内海橋の開通。これまで橋から100メートル上流側に整備され、中州の中瀬地区を通る従来ルートとは異なり、右岸の立町・中央地区と左岸の湊地区を結び、9月10日に供用開始した。

 元の橋よりも高く整備されたため、橋の歩道から南側の旧橋と石ノ森萬画館を眺めることができ、これまでにはなかった高さからの風景が新鮮に目に飛び込んでくる。開通式では徒歩による渡り初めもあり、市民からは「復興を感じられる」「待ちに待った開通」と喜びの声が聞かれた。

 この開通で、これまでは「西内海橋」と「東内海橋」を合わせた通称として用いられてきた「内海橋」が初めて正式に採用された。現在の西内海橋と東内海橋もそれぞれ架け替え作業が進み、県が新たな西内海橋を「西中瀬橋」として整備。さらに湊側では市が令和4年度までの計画で自転車と歩行者専用橋となる新たな東内海橋を「東中瀬橋」として架設する。

年末回顧

新たな内海橋が開通し、まちなかの流れが変わった

 新たな内海橋の供用により、これまで西内海橋への歩行者の動線だった中央の「橋通り」は橋に通じない道に変わった。西中瀬橋が完成しても、新たな橋はこれまでよりも上流に架けられるため、その通りの名前は歴史に変わる。

 そうした中、震災後の平成27年にその橋通りに開設され、市民間や移住者、観光客らの交流の核となってきた屋台村「コモンシップ橋通り」が11月8日、およそ5年半の歴史に終止符を打った。

 運営を担ってきた(株)街づくりまんぼうでは、いしのまき元気いちばの開設や堤防一体空間の整備、内海橋の開通など地域が変化していく中、求められている役割もが変化しているとし、今だからこそ必要なことを考えるための閉場とその意義を語った。

 最終日には、前身の橋通りコモン時代に出店し、今はまちなかで独立したかつての店主らも集い、コモンで出会った多くの人々がそれぞれに大切な思い出を抱きながら笑顔のお別れを果たした。

 こうした各種事業が発災10年を前に急ピッチで進み、確かに佳境と迎える。だが、それでもまだ中心市街地を取り巻く変化は過渡期の段階にあると言っていい。今後も西中瀬橋の開通や、それに伴う堤防空間の整備、さらに中瀬全体の公園化など人の流れを大きく変える計画が控える。今目の前にあるまちの景色は、2020年のまちの景色なのだ。


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