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使節船の痕跡探り歩く サン・ファン研究会 史料基に雄勝湾で検証

 慶長遣欧使節船サン・ファン・バウティスタ号の出帆地を考えながら歩く「政宗の黒船 造船・出帆の痕跡を探って歩く会」が22日、道の駅硯上の里おがつ=石巻市雄勝=を発着点に行われた。使節船を研究する市民有志団体「サン・ファン研究会」(遠藤光行代表)のメンバーと参加者計約20人が雄勝の地を歩き、帆船の建造や出帆の可能性を探る歴史ロマンに触れた。

 サン・ファン号の出帆地は石巻市月浦とされているが、同研究会は、仙台藩の正史「伊達治家記録」や伊達政宗の右筆(書記)として仕えていた真山正兵衛の日記、当時の宣教師が残した航路地図などを研究。「遠島月浦」という記述が「雄勝湾」を指す可能性が高いと考え、使節船の出帆地ではないかと提唱している。今回は、同研究会が収集した史料を基に雄勝湾を歩き、その整合性を検証した。

現地を歩いて史料を読み解き、歴史ロマンに触れた

 硯上の里を出発した一行はまず、雄勝湾を一望できる艇庫前に移動。遠藤代表は「雄勝湾は水深が深く、その形状からうねりが入りにくく波が穏やか。船を停泊させるには最適の場所」と話した。

 その上で遠藤代表は、スペインの冒険家で使節団とともにサン・ファン号に乗ったセバスティアン・ビスカイノが書き残した報告書「金銀島探検報告」に触れた。そこには雄勝浜を「世界の中でも最良であらゆる風から守られており、港の出入り口も非常に深い」と記述していたという。

 その後、下雄勝の海岸沿いに行き、対岸の釜地区、造船地とされている呉壺まで徒歩で移動。海底地形の検証や、さまざまな史料から読み解ける出帆地としての雄勝の可能性を検証した。【渡邊裕紀】





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