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見つめる古里の今と未来 石巻市須江・阿部拓郎さん(33)

 石巻市月浦の阿部拓郎さん(33)は震災当時、東京都国分寺市で生活していた。古里の惨状がテレビなどで報じられるたびに何もできない無力さを感じた。津波で実家は流失したが、家族と連絡も取れて無事を確認。その年の秋に帰郷し、現在は地域のコミュニティーづくりに奔走する。

 阿部さんは仙台の大学を卒業後、上京。「半島部はとにかく不便だった。近くにコンビニはないし、友人の家に行くにも親に送迎してもらわなければならなかった」と話す。こうした生活を続けてきた反動からか、利便性の高い都市部にあこがれもあったという。

 その中で起きた東日本大震災。地元の月浦は壊滅状態となり、実家も失った。家族が被災者となっているのに、そばで寄り添えないもどかしさもあった。一刻も早く帰りたかったが、被災地には多くのボランティアが入っており、落ち着くまで少し待った。

 秋に帰郷し、家族のいる仮設住宅には手狭なため入らず、市内に家を借りてレンタルビデオ店で仕事を始めた。市街地の復興工事も進み、仮設住宅から復興公営住宅への移住が進んだ平成28年、日常が戻ってくる中で聞いた客の一言が大きなきっかけを生んだ。

「石巻は何もなくDVDを見るくらいしか楽しみがない」

 阿部さんは「そうですね」と返したが、今まで漠然とつまらない、面白くないと思っていた石巻のイメージで、具体的に何がダメなのかを言うことができなかった。古里について未知の部分もあることに気付き、「そこからもっと石巻のことを知りたいと思うようになった」と話す。

復興の階段 阿部拓郎さん (12)

「地域を深く学びながら、まちの未来を考えたい」と話す阿部さん

 石巻のことを知る仕事はないかと探していた矢先、目に入ったのが移住ガイド事業など地域の活性化に取り組む「一般社団法人Ishinomaki2.0」だった。そこで出版していた牡鹿半島を紹介するフリーペーパーを見て、地元の隠れた魅力がまだまだあることに驚いた。「ダメ元で面接ではかなり好き勝手に話した。それが良かったのかどうかは分からないが、採用が決まった」と話す。

 平成29年から2.0でコミュニティー再生事業に携わり、災害公営住宅などを主に活動の場とした。「復興していくまちの現場にいることで、現状を知ることができた。同時に地域の未来も考えるようになった」と振り返った。

 被災し、避難所生活を経て応急仮設住宅で暮らし、災害公営住宅に移り住んだ人たちには、まず新しい生活に慣れてもらうことが最優先。一人一人の歩調に合わせながらコミュニティーの再生を見守り続ける。

生活再建整い 9段目

 阿部さんに最大10段とした復興の階段を問うと、「私と家族の生活も再建でき、9段目にいる。ただ、地域はまだ4段目程度ではないか。半島部の復興工事はまだまだ続いているし、ハードだけでなく、心のケアなどソフトの面でもこれからだと感じる」と話した。

 現在は同市須江に移住した家族とともに暮らす阿部さん。コミュニティー再生事業以外にも、映画上映事業に携わる。「文化の復興を目的に、さまざまな場所で映画を上映していきたい。地方だからこそできることで、心の復興につながっていけば」と熱い思いにあふれている。【渡邊裕紀】


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