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妻の声掛けで九死に一生 石巻市新館・清水志郎さん(83)

 石巻市新館の自宅で妻裕子さんと一緒に津波に襲われた。幸い平屋の自宅は流されず2人とも一命は取り留めたが、志郎さんは居間に流れ込んで強烈に渦を巻いた褐色の泥水に巻き込まれ、約2時間意識を失った。「妻の必死の声掛けがなかったら、多分私はそのまま逝っていただろう。青葉中に避難するまでの2日間は、妻がいたらからこそ乗り越えられた」と語った。【山口紘史】

 元高校教諭で校長も経験し、平成10年に定年退職。その後は仙台育英高に再就職し、震災前年まで教壇に立った。新館の自宅は同20年に新築、趣味の絵画などをたしなみ、裕子さんと2人でゆったりと余生を過ごすつもりだった。

 あの日、突然の強く長い揺れで家具や置物は多少破損したが、特に目立った被害は見られず「大したことはない」と2人で片付けを始めた。

 間もなく防災無線が震度と津波の恐れを報じた。石巻港から自宅まで約800メートル離れており、志郎さんは「ここまで波は来ない」と思った。だが、海側から急いで走ってくる人の姿が目に入った。後方から褐色の泥水が猛烈な勢いで迫り、激しい音を立てながら家の中に流入。波を確認してから、たった数十秒のことだった。

復興の階段 清水志郎さん (21)

自宅で津波に巻き込まれた清水さん

 逃げる間もなく、水位は天井付近に達していた。志郎さんは水が渦巻く居間の隅で直立したまま気絶。意識を失う直前に目にしたのは、隣の部屋にいた裕子さんが家具の隙間で流されまいと必死に耐える姿だった。

 そこから2時間の記憶はない。気付くと水位は下がっており、濁流は玄関を突き破り抜けていった。流されてきたがれきが自宅前でちょうど堤防のようになったことで水の勢いは弱まり、流されずに済んだという。

 目の前には心配そうに見つめる裕子さんの姿があった。「ガタガタと震える自分に、妻が何度も声をかけてくれたらしい。妻がいなかったら私は死んでいた」と振り返る。

 近隣は泥水だらけで自力避難は不可能。ずぶ濡れの2人は押入れの上段に濡れた毛布を敷き、小さくうずくまって救助を待つ。「おーい!おーい!」。何度も助けを呼ぶが、声は暗闇にむなしく溶けていく。寒さと恐怖で一睡もできなかった。

 朝を迎えたが家の周りを見渡せば、さながら湖。2日目も救助は来ず、身動きも取れないまま、再び長い夜を越した。寒さと不安で頭がおかしくなりそうだった。

 そして3日目。昼ごろ自衛隊の救助ボートに発見され、青葉中に避難した。そこで1カ月半ほど滞在した後、2人は日和山に所有する物置小屋を生活拠点とした。被災した新館の自宅は平成24年春までに改修した。

 「生かされた命で地域に貢献したい」。志郎さんは仕事の経験を生かし、外国人向け日本語教室の講師、小中学生の学び教室補助などボランティア活動に精を出す。

子育て環境途上で 4段目

 復興を10段の階段で例えると「4段目くらい。ハード面は順調だが、子どもが自由に遊べる公園が少ない。子育て環境が整っているとも言えず、これでは人口減少は進むばかり」と教育行政に厳しい目を向ける。

 津波の教訓では「すぐに逃げる自助の意識はもちろん、地域で声を掛け合う共助が大切。経験を語り継ぎ、次代の子どもたちの命を守る一助にしていきたい」と話していた。


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