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短くも長くもあった日々 石巻市中央・正岡賢司さん(72)

 東日本大震災から9年半が過ぎ、国の復興期間も本年度末で一つの節目となる。震災は津波で被災した沿岸部だけでなく、復興事業に伴って内陸部も含めた広い範囲で地域の姿を変えた。道路、橋、施設。記憶にとどまる前に移り変わっていった景色も数多い。当時描いていた10年後の姿と今の姿。震災から10年が近付く中、石巻地方の人々に復興の階段を尋ねた。「10段あるとすれば、あなたは今、何段目ですか」。

復興の階段 9年半 正岡賢司さん (10)

変化した街並みに立つ正岡さん

 「もうすぐ10年。あっという間と言えばそうだけれど、ずいぶん俺も年を取ったなぁ」。同市中央の向山靴店社長の正岡賢司さんは震災当時62歳。あの日から10年を前に72歳となり、短くも、長くもあった日々を振り返る。
 都内の大学を出て浅草の靴問屋に勤め、24歳で帰郷。平成18年からおととしに解散するまで6期12年間、アイトピア商店街振興組合の理事長を務めた。

 9年半前の3月11日は、立町にある店のイベント初日。「初日の売り上げとしてはまあまあだね」。小さな安心感を得た直後、大きな揺れが襲った。「津波が来るぞ」。周囲が叫ぶのを聞いてシャッターを閉め、同級生が営む千石町の杉山商店付近に着いたころにはどこからともなく湧いた水が足元に迫っていた。

 同店に身を寄せつつ中央の本店兼自宅にいる家族を案じた。薄闇の中を向かうも、どの道も通れない。「あと200㍍なのに」。側溝に足を取られて転び、全身がずぶ濡れになった。同級生に上着から下着まで全て借りた。

 翌朝、たどり着いた商店街は見続けてきたまちとは似ても似つかない姿。くじけそうになる心を「今、何をするべきか」と押し殺した。「出来が悪くても組合のトップ。うろたえちゃいけない。やせ我慢だった」と語る。

 震災後に石巻を訪れたボランティアの多くは若者だった。彼らの直接的支援にも助けられたが、「ひと筋の光だと思ったよ」と正岡さんが語るのは、以前のまちなかでは少なかった若者の姿自体に向けての思いだった。

 35人に減った組合員も一時は50人にまで戻り、そこには若い移住者もいた。しかし、組合はおととし5月に終止符を打った。「組合というのはそれぞれに余裕があってこそ成り立つ。今は皆、自分のことでいっぱいいっぱいになってしまった」と歯がゆさを語る。

 商店街に昨年末、12階建てのマンションが建った。正岡さんは協議会で会長を務め、現在は1階に新店舗を構える。建設には賛否もあったが、かつてその場所にあった東北貯蓄銀行石巻支店のドーム型の建物のようなシンボルとなる場所が地域には必要だと思った。

中心部のにぎわいは 3段目

 復興に10段の階段があるのならば「3段目。今のまちのにぎわいを見て10段とは言えないよ」と唇をかむ。ただ、「まちなかに若い家庭が増えた。小さな子どもたちも見かけるようになってね。震災後に若者がそうだったように、子どもは地域にとって光だよ」と新しい希望にも目を向ける。

 商店街にとって厳しい時代はこれから続く。それでも商店街のあるべき姿を問えば答えは昔も今も変わらない。「通りの向かいから手を振り合えるまちだね」。62歳から72歳となった震災後の年月。「でもね、なかなかもう俺には〝バカタレ〟と言われるような無茶はできないよ」。変わり続け、少し変わり終えたような街並みを見つめた。【近江  瞬】


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