見出し画像

命の尊さと教訓伝える場 被災校舎の遺構整備進む

 北上川を遡上(そじょう)し、石巻市の大川地区に到達した東日本大震災の津波は約10メートルに達したとされる。津波は堤防を越えて河口から約4キロの地点にある大川小学校を襲い、児童、教職員84人が死亡・行方不明となった。被災校舎は市が震災遺構として整備することを決め、現在、外構工事と管理棟建設が進んでいる。【近江  瞬】

大川地区 2011年4月21日

堤防を越えた津波が押し寄せた(平成23年4月21日)

 大川小周辺の住宅地は全て被災。北上地区とつながる新北上大橋(566メートル)の橋げたの一部が崩落した。大川小校舎は外観こそ保ったものの、突き抜けた津波の跡は2階校舎の天井にも残る。

 地区内の9集落のうち、間垣、釜谷、長面、尾崎は人が住めない災害危険区域に指定された。また、大川中は平成24年度をもって河北中に統合。仮設校舎で再開していた大川小も29年度をもって二俣小に統合し、145年の歴史に幕を閉じた。

大川20200930 (87)

震災遺構として旧大川小周辺の整備が進む(令和2年9月30日)

 発災7カ月後の23年10月には新北上大橋が復旧。被災水田も25年の針岡地区を皮切りに段階的に営農を再開し、残り約20ヘクタールの復旧を待つ。大川中跡地には26年に水耕栽培施設が完成。江戸時代から約300年の歴史を持つ釜谷の正月行事で、震災で途絶えていた「大般若巡行(だいはんにゃじゅんこう)」も再開した。

 震災遺構となる旧大川小校舎は犠牲者の慰霊や避難の重要性など教訓を伝える場。本年度末の整備完了を予定し、来年度の早期の供用開始を目指す。あの日から10年を前にしても、教訓を未来に伝える校舎では、残された時計が津波到達時刻のまま止まっている。


現在、石巻Days(石巻日日新聞)では掲載記事を原則無料で公開しています。正確な情報が、新型コロナウイルス感染拡大への対応に役立ち、地域の皆さんが少しでも早く、日常生活を取り戻していくことを願っております。



最後まで記事をお読みいただき、ありがとうございました。皆様から頂くサポートは、さらなる有益なコンテンツの作成に役立たせていきます。引き続き、石巻日日新聞社のコンテンツをお楽しみください。