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過程を伝える記録に意義 〝医療者まかせ〟変わらず

 再び明治15年に流行したコレラを振り返ってみよう。この時、石巻村では63人が命を落とした。【平井美智子】

 寿福寺の紀念碑には、「牡鹿郡根岸村」「牡鹿郡石巻村」や「岩手縣」「山形縣」「仙臺區」などの出身者10人の名前が刻まれている。

 碑文に「ひとり残されて死んでいったものは葬式をしてくれる人もなく、あるいは旅の途中で亡くなったものもあり、これら迷っている魂を慰めるためこの地に埋葬して碑を立てる」と記されている。

 境内には、ほかにも餓死者らを弔う叢(くさむら)塚、さらに東日本大震災の物故者慰霊碑などが立つ。いずれも建立の背景にあるのは、「忘れない」ということだ。

 不慮の事態で命を落とした人たちを忘れない、そしてこうした出来事を忘れず後世に伝えるという思いが碑に託されている。

 同寺の深草喬雄住職(88)は「過去の出来事を時に振り返り、教訓として生かすことは重要」と語る。

 しかし実際はどうか。この連載で参考、引用している「感染症クライシス」が出版されたのは平成27年だが、この時はもとよりつい半年前まで感染症に対して一般人が危機感を抱くことはなかった。それが新型コロナウイルスという人類にとって未知の脅威が出現し、ほぼ全ての人が意識せざるを得なくなった。

 医療、予防に関する課題も顕著になったが、著者の竹原万雄氏は、近代の医療・衛生史を専門とする立場から、今も140年前のコレラ禍の時代と変わらないと指摘する。

 今回の連載にあたり、次のようなコメントを寄せてくれた。

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 コレラの致命率が60%を超える中、感染症に立ち向かった先人への畏敬の念に堪えない。

 新型コロナに対しても、医療従事者の皆さんへの感謝が世界各地で叫ばれている。患者を診るのが医師の仕事であることは当然だとしても感染症が流行した時、それでよいのか。死と隣り合わせで闘うことを100年以上前と変わらずお願いしていることに疑問を覚える。

 今回のコロナ禍を契機にさまざまな分野で変革が求められている。医療分野においては医療従事者の安全な環境整備に止まらない、想像以上の変革が必要なように思える。

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 科学や医療が発達した現代に生きる私たちは、人命にかかる災禍を昔の話としてあまり気に留めていなかった。そのおごりが打ち砕かれたのは9年前の大震災であり、次いで国難、地球難ともいわれる今回の新型コロナウイルスだ。

 医療崩壊を防ぎ、パンデミック(感染爆発)に歯止めをかけるためには、医療・衛生関係者という一部の専門者だけに頼らざるをえない現状を変えなければならない。そして〝うつらない、うつさない〟というシンプルだが大切なことを一人一人が意識し続けなければならない。それを過去が教えている。

 さらにもう一つ重要なのは、地域が危機に瀕した時の記録を残すことだ。「感染症クライシス」の主な資料である勝又家資料は、震災で被災しながらも救出された。それによって感染症がまん延していった状況やその時、その場所で人々がどのように対応したのかなどを時系列的に知る手掛かりになった。石巻の年表に1項目として記されていた「明治15年にコレラ流行」という事実について終息までの過程を学ぶことができた。

 同書は災害の状況を伝える記録の意義を訴えるとともに、それを活用できなければ意味のないものであることを先人たちの活動を通して呼び掛けているようだ。


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