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徳田博丸  (とくだひろまる)
平成でいちばん人生が変わる喜劇作家。


脚本家・演出家・放送作家・アクトコーチ
1972年9月12日生まれ 大阪府八尾市出身。

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【講演・セミナー内容】
『脚本家が教えるビジネスストーリーテリング』
今求められているストーリーテリングのロジックを解説。ワークを中心に実践していく。

『あなたのスピーチを100倍面白くする魔法のレシピ』
伝えること、面白く、興味のある素敵なスピーチの作り方を放送作家の目線でお教えします

『あなたのプロフィールを100倍魅力的にする魔法のレシピ』
個人業や会社やお店、サービスなどを劇的なものにできるプログラムです。

『笑いの現場の裏側と夢を与える方法』
吉本新喜劇・笑いの現場の裏側での泣き笑いのお話。

『プレゼンは「フリップ芸」だ!』
面白いプレゼンの資料の作り方。パワーポイントでのプレゼンの資料の作り方講座

『徳田博丸の脚本教室』
誰でもすぐに1本書くことができる脚本の書き方を伝授

『☆型=ペンタグラムによる 感情解放と人間関係の演技ワーク』
脚本家と役者を同時に成長させるワークです。

『ビジネスコミュニケーションを高めるためのコメディ演劇ワーク』
演技の指導法を使ったビジネス向けのコミュニケーションワークです。
                  
ほか、俳優・タレント・作家などの指導歴多数。

【徳田博丸のストーリー】

イッセイ尾形さんの一人芝居を知り衝撃をうけて17歳で役者を志す。

7年がんばるも挫折。大谷大学在学中にスターウォーズにはまり神話の共通点に気づき、世界中のありとあらゆる神話を研究しまくる。
1993年、大学の授業にシェイクスピアの脚本を翻訳する課題の授業を受け、セリフの掛け合いの妙を深く学ぶ。

大学を中退し、フリーマーケットで古着を売る商売をはじめる。
ヴィンテージの古着ブームの追い風に乗って、順調に商売をしていったが、阪神淡路大震災の影響と商品の仕入れと不良在庫に悩まされる日々が続く。

同時期に、脚本に興味を持ち出し、好きな映画のセリフを耳で聞き書き写し、一冊の脚本を完成させたりして楽しむようになる。
紙とペンだけでお金になる脚本ってすごい!っと気づく。

その流れで、関西の小劇団で演劇活動の中で脚本を手がけるようになるが、上手に物語を運ぶことが出来ず、言いたいことがまったく書けていなく、自分の脚本力のなさに悩む。その時、自分で書き映していた映画のセリフの事を思い出し、読み返すことで、脚本の構成の仕方の一定のリズムがあることに気づく。

フリーマーケットを中心に3年ほど商売していると、役者仲間から、松竹芸能の俳優部の新人たちのための台本を書いてくれと依頼される。
それがきっかけで松竹芸能の俳優部に所属することに。

1997年に「ますだおかだ」さんのイベントのコント作家を担当するようになる。
これをきっかけに放送作家としての活動を始め、俳優から作家へ転身することに。

森脇健児さんのラジオの構成や、ドキュメンタリーの構成・台本を担当するなど、幅広くテレビ・ラジオ・イベントの構成・脚本を数々担当するようになる。

笑福亭鶴瓶師匠主催の舞台監督をするようになり、鶴瓶師匠のそばでテレビ・ラジオ・イベントの企画の立て方、進め方を学ぶ。

関西テレビの子会社の制作会社へ入社し、テレビディレクションの仕事に就くが、自分の作って行きたいモノはこれではないと感じ、ここで映像編集や番組制作を学ぶが、早々に退社するか迷う。

そんな中、鶴瓶師匠のイベントのゲストにイッセー尾形さんが出演、その打ち上げの時にお話ができ、尾形さんが「俺はただ好き勝手にやっているだけですよ」といわれ、「ああ、俺は好き勝手やってないわ」と思い、次の日、テレビ制作会社を退社する。
フリーで放送作家に戻り活動を続ける。

その後2001年に吉本新喜劇の脚本・演出を担当するようになり、当時注目されていた関西小劇団の人気作家たちが、3本以上書いた人がいない事を知り、自分は吉本新喜劇で、この人たちより少し多い5本は書こうと目標におき、吉本新喜劇の脚本を書くことに挑む。

結果的に、数百本以上の書き下ろし作品を発表する。その他の演劇やラジオドラマの脚本、ドキュメント取材の脚本など多数執筆。演出も手掛けるようになる。

その傍ら、コメディーミュージックユニット「こひごころ」のボーカル“ハイビスカス博士”として音楽活動も並行して行う。

2004年から2005年 仕事絶頂のときに、職場の人間関係悪化から突然仕事をほされる事も・・・。
その後、再び吉本新喜劇の脚本を担当するようになる。子供が生まれるも家に全然帰れないほどの超ハードワークを続け、ストレスからメニエール病と突発性難聴になり休息宣言する。

2011年1年間の執筆休業中に、生活の糧が必要なので番組制作会社に再就職する。
沖縄に一人旅に行き、沖縄本島北部にある古宇利島にて、カフェやレストランを経営する実業家の木嶋一矢さんに出逢う。木嶋さんを人生のメンターとし、沖縄の海や自然に触れることで、心身ともにリフレッシュし奇跡的に回復する。仕事の整理をし、会社も退社。再びフリーになってマイペースで仕事をするようになる。

2013年 埋もれた才能にスポットライトをあてる団体「ココロック」を旗揚げ。
代表を務め、表現者たちの可能性の場を提供する活動を行ったり、2014年、若い表現者たちを育てる「徳田博丸主催演技勉強会」を開催する。

自分の得た知識を、自分だけで終わらせてしまってはいけない。エンタテインメントの知識は分け与えても減ったり損したりはしないと考え、後進の育成に力を注ぐようになる。

ジャンルを問わず様々な表現者のみならず“豊かな人生を送るために、演劇のメソッドを利用した『感情解放』”を促す『アクトコーチ』の活動を開始。

2015年からは、若手俳優たちによる、歌とダンスとお芝居を追求したパフォーマンスチームの創設を計画。“出会った人のチャンスメーカーになる”と活動の方針を定めていく。

また、沖縄で「よしもと沖縄花月」がオープン、それに伴い、沖縄の文化を笑いで紹介できる喜劇「おきなわ新喜劇」の立ち上げに参加。ガレッジセールさん・スリムクラブさんら沖縄出身芸人とともに、沖縄に通い、「おきなわ新喜劇」の脚本と演出を手がける。
自分を回復させてくれた沖縄にコメディを根付かせようと尽力するようになる。

2017年、関西の喜劇の老舗、伝統ある松竹新喜劇の脚本を担当するようになることで、
吉本と松竹の新喜劇を担当するようになった平成で唯一の脚本家となる。
また「徳田博丸の脚本教室」をはじめ、教え子の高島麻利央さんがWOWOW脚本大賞優秀賞を見事受賞する。

日本一の個人投資家・竹田和平さんを描いたお芝居「竹田和平物語」シリーズの脚本・演出・制作を手掛ける。

2018年 古事記エンタテインメント「八百万の神喜劇」を、作家の荒川祐二氏と作家プロデューサーの山本時嗣氏と共に立ち上げ、日本全国公演を成功させる。

兼ねてより脚本演出を手掛けていた「おきなわ新喜劇」の全国ツアー「心がつなぐアロハイサイ」では、沖縄からのハワイ移民をテーマにした物語を描き、自身初の海外公演を大成功を収める。

「食べるお芝居」シリーズを立ち上げ、京橋のカフェレストラン「TERRA-á-S」でお芝居と食のコラボを実現。

藤原麻友美のライブを企画・プロデュース

2019年「きいやま商店大爆笑劇場2019」の主催・プロデュース・脚本・演出を担当。
大阪公演・横浜公演・沖縄公演を成功させる。

首里城の焼失で、お世話になった沖縄になにか寄与できないかと考え、
沖縄のお笑い事務所の大手3社と合同で首里地区をはじめ、沖縄をを元気にしていく企画を考案中。

沖縄の人たちを楽しませた「うちなー芝居」の復興に屈力中。

大阪では朝の8時45分からお芝居の本番をする「朝劇大阪」に参加。脚本・演出を担当する。

新型コロナの影響で生活が大ピンチになった俳優やミュージシャン、エンタメパフォーマーたちの次なるチャンスを作るための「CHANCE MAKE PROJECT」を立ち上げ、エンタメ支援活動を始動中。

「脚本教室」「演技勉強会」「星型=ペンタグラムの演技ワーク〔博丸メソッド〕」「あなたのスピーチが100倍面白くなる魔法のレシピ」「ビジネススキルとしてのストーリーテイリング講座」などの講演・ワークショップも人気となっている。


【ハイビスカス博士(こひごころ)】

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コミックバンド「こひごころ」のボーカル。ブルースでなぞかけを歌う、「共通点ブルース」で
「有田哲平のmicrosoft動画グランプリ優勝」。
大阪のラジオでパーソナリティなど務める。


■株式会社JOBWEBの佐藤孝治社長にインタビューをしていただいた音声と記事です。

https://www.jobweb.jp/blog/student/2049689/19434

https://soundcloud.com/kojisato515/8zerd2qda9qv

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講演実績


●「吉本新喜劇・松竹新喜劇の喜劇作家が教えるのビジネスストーリーティング講座」
 デトロイトトーマツグループ様
●八尾青年会議所様の「吉本新喜劇と企画の立て方」 *この講演会から「やお80映画祭」が誕生しました。
●「笑いの世界の作り方」 松竹芸能様
●「俳優のための感情解放」 YTJ様
●よしもとラフ&ピース専門学校「よしもと新喜劇のオープン講座」 他多数実績有り。


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