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「私がピックでベースを弾く理由」~WEBラジオくるみの日々酒、第五夜~


皆様こんばんは、KURUMIです。

毎月第2、第4金曜日の夜21:00にyoutubeと、ここnoteにて同時更新中
WEBラジオ「くるみの日々酒」
今夜で5回目の更新です。

お酒を飲みながら日々感じたことをぼやきつつ
毎回1曲だけ私の今聞いてほしい曲を選曲して
その曲の何が好きなのかを熱く愛情込めて語ったりしています。

今夜はThe BeatlesのブルーアルバムからLady Madonnaをセレクト。
この曲の何が好きなのか熱を込めて語っている部分は、YouTube「くるみの日々酒radio」後半のコーナー「この曲を聴いてくれ」で聞けるので、音楽好きの同志は再生してみて下さいな。


前回は、サンタさんを熱狂的に信じていた私が感じた、親に対する当時の複雑な気持ちと、今になって思う感謝の気持ちと、いまだに残るサンタさんへの憧れについて語りました。

お供のお酒はクリスマスということでスパークリングワイン!
銘柄は忘れてしまった。

「サンタさん信じていますか?」~WEBラジオくるみの日々酒、第四夜~」

さて今回は新しい年、2021年の幕開け1発目更新!
ということで日本酒をちびちびやりながらお喋りです。

銘柄を忘れないうちにメモしておこう
まだ日本がコロナにここまでのまれる前に行った
箱根旅行で手に入れて大事に保管していた日本酒
純米 箱根街道(石井醸造株式会社)

今夜は君に決めた!

※今回鬼の長文になりました。暇つぶしには最適ですが、時間のない方は時間のある時にまた来てね。笑

「私は自分が弾くベースの音を愛せないのかもしれない」

私のことを知らない人が聞いても面白いと思えるようなテーマにしよう
と、どこかでそう思いながら毎回テーマ設定をしてきたのですが

前回のくるみの日々酒ラジオを聞いてくれた方から
「もっとくるみちゃん自身の突っ込んだことも聞きたい」
と言ってもらったので

新しい年1発目となる今回は、ちょっとわがままに
自分ライクなテーマ設定にしました。

今回のテーマは「私がピックでベースを弾く理由」

文章書いたりラジオ作ったり、ただ日常のVLOGをアップしたりしていて
最早全くバンドマン感がないのですが、実はベーシストです。

ちょっとは演奏してみた動画とか、音楽に関する文章あげなさいよって感じですね。笑

でも、なんだか気が向かなくて(最低)

音楽のことも、ベースを弾くことも、大好き。
バンドや音楽にずっぽりハマって1番大事なタイミングで進路思いっきり方向転換して、人生一時は破滅寸前になるくらい大好きで、それは今も変わっていないけど。

多分私は自分のベースの技術を
いまだにどこか自分自身で認めることができていないのです。
これは演奏者として致命的だなと感じています。

弾いていてもどこかずっと足りていない気がしていて、
丁度のどが渇く感じと似ているのですが

飲んでも飲んでものどが渇くし、足りなくて
でものどの渇きを癒すために大量の水を飲み続ける努力はできない
したくない

例えるとしたら、そんな感じです。

ずっと足りていない自分も
その渇きを解消するための努力ができない自分も
どこかで許すことができないまま
うまく認めることができないままなのです。


別に誰かに演奏技術をけなされたわけじゃない。
多分私は音楽というもの、その存在自体が好きすぎて
そう感じてしまうのかもしれないな、と最近は考えています。

「音楽が好きすぎると気づいた日のこと」


私は音に対する執着や感覚が普通より少しだけ過敏かも

と、初めて感じたのは高校生の時。

当時所属していた吹奏楽部で、
金管八重奏のアンサンブルコンクールに出場することが決まっていた選ばれた精鋭メンバーが、他の部員の前で曲を披露するタイミングがあって

彼女達の演奏が終わった瞬間私は泣いていて

当然誰よりも驚いたのは自分自身でした。
なぜ泣く。

別に泣ける曲でもなければ、
私はその精鋭メンバーの一員だった訳でもないので
その曲を血の滲むような努力で練習してきたとか
そういう思い入れがあった訳でもない。


ただその演奏がすごく良いと感じたことは間違いなかった。


そのあとその金管八重奏のチームは順調にコンクールを勝ち進み、
私達の部活の今までの経歴の中では異例の賞をとりました。

必ずしも世間に評価される音に反応する訳ではないけど
それ以降、私にとっての「イイ」音を聞くと高確率で涙が出るようになりました。

聴いた瞬間背筋がゾクゾクして、涙がせり上がってくる。
自分の気持ちやテンションには一切関係なくそうなる。

不思議なことに技術面での優劣は関係ありませんでした。
抜群に演奏技術が優れていても反応しない時はしない。
自分でも本当に不思議で。

感受性は元々かなり強いタイプだという自覚はしていたけど
それはあくまで気持ちや感情の問題で

感情に関係なく反応する「感覚」が自分の中にあることが
何かとても不思議なことに感じられ
それが心地よく、なぜか少し嬉しかった。

ひどく不器用で要領が悪く
何をやっても人並み以下だと強く劣等感を感じていた高校時代に
その感覚は、私が私を肯定できる唯一無二の理由で
私にとって特別なものだと思えたから、かもしれません。

多分その時期の私は、何か、なんでもいいから何か、
特別なものになりたいと
心のどこかですがるように強く願っていたような時期だったと思う。

何者でもない自分と、そしてこの先も何者にもなれそうにない自分に絶望していた気もします。

一体なぜあんなに自分自身に絶望していたのか今はわからないけど
とにかくそう感じていました。

音楽に対する私の感覚は、私にとって唯一の希望にも似た何かだった。
どんどん音の世界の魅力にのめり込んでいきました。


ベースという楽器に出会ったのはちょうどそんな時期です。

いつもいつもテーマに入る前の前置きが長くなってしまうのはどうしてなの。

「本題、私がベースをピックで弾く理由」

エレキベースに出会う前の私は、吹奏楽でコントラバスという楽器を担当していました。体に直で響いてくる生の振動が気持ちよくて、本当に素敵な楽器。

低音というジャンルに一ミリの興味も抱けなかった私をあっという間に虜にした大切な、私にとって思い出深い楽器です。

コントラバスは指で弾いてひくイメージがありますしそういう風に弾くタイミングもありましたが、基本私は弓という道具を使って弾く奏法をメインで教えてもらい、それに慣れていました。

エレキベースを持って初めて弾いた時に感じた強烈な違和感が「指で弾く不自由さ」

私は道具を使って音を、というか弦を鳴らすことに慣れていたせいか
指で弾くことに対してもうベースを初めて持ったその時から、なんか嫌!と、拒否反応が出てしまってうまく弾けなかった。

それをみた吹奏楽の友達がなんの気無しに「ピックで弾けば?」
と言ってくれたのがピック弾きベーシストとしての私の始まり。

そう、最初は本当大した理由じゃなかったのですよ。
弾きやすかったから!指で弾くのがなんとなく嫌だったから!

ここまで引っ張って、たったそれだけの理由です。笑

そしておそらくピック弾きベーシストであれば必ず1度は言われているであろう言葉「ベースと言えば指弾きでしょ!?指で弾かないの?指で弾きなよ!」

これを今後言われ続けるわけです。
今でも不思議。指弾きは指弾きの良さがある、ピックはピックの良さがある。どちらを選ぶかは本人の好みであり、ベースの弾き方にセオリーなどないのでは、と私個人としては思っています。

始まりはなんとなく弾きやすいからという安易な理由ですが
その後「私はピックでいく」という気持ちが強くなっていきます。

そのキッカケになったのがベースの師匠との出会いです。

当時あちこちのライブハウスにライブを見に行くことが日課になっていた私ですが、たまたま見に行ったライブで演奏していた師匠の音に、唐突にぶん殴られたような衝撃を受けます。

全く知らないバンドで、知らない曲で、知らない人たちが演奏していました。

私はステージの前で立ち尽くして、ベースをそれこそ穴が空くほど見つめることしかできなくなって、また例の涙が滲むのに気づきました。
久しぶりのこの感覚。
この音。

なんて音だろう
なんてベースなんだろう
こんな、
こんな音が存在するのか

そう思いました。
理由はわかりません。
今でもわからないままです。

そして何年も経過した今でも、好きなベースの音は?と聞かれたら師匠の音だと真っ先に答えます。

まあ、お師匠様はえげつないくらいの練習量をこなしている変態だったので、えげつないほどの技術力を持っているとんでもない変態ベーシストだったことがのちにわかるのですが、

ただ技術力が高いだけじゃ泣けないので、きっと何かが私にとって「イイ」音だったのでしょう。

言わずもがな、そのお師匠様がピック弾きに超絶こだわるピック弾きのスペシャリストなベーシストだったわけです。

私は一生分の勇気を振り絞り、なんの繋がりもないその人に
「べ、ベースはどうやって練習していますか」
と震える声で初心者丸出しの質問をしに行ったことを覚えています。

そのあといろんな奇跡が重なりその人の生徒第一号にしてもらうことに成功。(今やたくさんの生徒さんを抱える先生ですが)

間近でみる師匠のベースの音は毎度毎度私に感動を与え
それと同時に激しい挫折を何度も何度も経験しました。

「私は、私をここまで感動させるベースの音を自分で作り出すことができない」

楽器を弾く時間や経験が積み重なるほどに実感する。
私は自分の音に感動できない、泣けない。

あの例の背筋のゾクゾクと涙は、自分の作り出す音には反応してくれないことに気づいてしまったのです。

初心者のうちは良かった。
まだ未熟だからと思えた。

でも違う、何かが違う、こうじゃない、
私を震わせるあの感覚は降りてこない
ただ「上手い」だけじゃない何か。

私が私を肯定できる、唯一の感覚
私の軸
存在意義

それが、私が弾く音には何年経っても反応してくれない。

うまく言葉で説明できなかったので
今の今まで誰にも話したことはなかったけど
私にずっと葛藤と挫折を繰り返し与えた理由のひとつであった気がします。

私が信じる自分の感覚は
私の音を認めていない。

なんて皮肉、なんて屈辱、なんてやるせない。
この気持ちをなんて表現したらいいのかわからない。

それでも私の信じる「音に反応する感覚」は
自分の音を置き去りにして、どんどん研ぎ澄まされてゆくように感じる
最初は「曲」にしか反応しなかったそれは
環境音、例えば雨音や風音、BGM、そういうものにも反応するように変化していった。

だんだん涙があふれなくても「あ、これ、イイやつだ」って
わかるようにすらなってきた。

いわゆる音フェチ、が近い言葉になるのだろうか

でもなぜか私ASMRとかには反応しなくて
それも謎なのだけど、あれはなんか違うみたい。

私には夫がいるのですが
彼のことをもっと知りたいと思った最初のきっかけも
「声」が決めてだったように思う。

これは「イイ」音だな、と
初めて会った時に感じたのをよく覚えているのです。

人の声も、音だ。

私の人生は
音に振り回され、時に導かれて、転がるように過ぎている
と、思う時があります。

音に影響を受け続けている。
変な人生。

でも好き。
そうやって、好きだって今思えているのは嬉しいことです。

自分の音を認めることができなくても
自分の人生は好きだと思えることができているのは何か不思議。

「私はこれからも音楽を作ります。」

ここまでずっと自分の音に関して
徹底的なネガティブキャンペーンを展開してきて言うのもあれなのですが

ずっと説明してきた私の「イイ音に反応する感覚」
私が演奏する音には現在もちっとも反応してくれないのですが
昔から「私が作る曲」「作った音のフレーズ」にはたまに反応してくれます。私が演奏した音はダメでしたが、私が作った音のフレーズには可能性があるって感じですね。笑

これがむしろ、私が音楽から離れられない原因と言えます。

そして最初の話に戻りますが、ピック弾きを強く意識したもう一つの理由です。


私が思いつきでベースから作るフレーズや楽曲は、指弾きではうまく弾きこなせないものが多く(当然普段からピックで弾いてるからそうなりがちなのですが)、ピックで弾くベースの音質もそうですがそれよりも

ピック弾きベースでつくるフレーズ、そして曲

を、愛してやまないので、私はピックでベースを弾きつづけています。
5000文字に届きそうな後半でやっと本題の回答をすることができました(しんどい)

自分自身のことを語る文章はいつも、まとめるのにパワーを必要としますね。音楽のこととなるとなおさらです。

今回はYouTubeラジオで話していることよりも相当脱線して、noteの内容が分厚くなってしまいましたが、まあこれはこれということで。

誰かに話すというより、自分に言い聞かせるような文章。

私はいつも自分のことにすごく興味がある人間です。
基本的に自分のことばかり考えています。

私はこれからも、私が「イイ音」と反応してくれるような音を
作ることをやめられないし、

いつだってほとんど自分のために音楽を作っています。
私は私に認めてほしくて音楽を続けているのです、きっと。


とんでもなくネガティブで、自己肯定感が恐ろしく低かった私が
無意識にとった救済措置というか、自分を守る方法だったのかもしれません。

特別な何かになりたくて、
ダメな自分を認められなくて、
先を信じることができなくて、

そういう状況で私が無意識に生み出した
「音楽をイイと感じる感覚」は

結果的にその先の私を大いに苦しめ、
そして最後には救っているのだろう

と、最近はそう思うことにしています。


私は私に認められたいがために音楽を続けていて

そのために一番有効な手段だったのが「ピック弾きベースでつくる音楽」
って感じでしょうか。


うーん、さすがに今回は自分語りが過ぎましたね。笑
やりすぎました。
次回からはもう少しおさえます。

戒めとしておいておきます。

でもね、自分のことは自分でもわからない
しかし他人となるとさらにわからないので

どうかこれをここまで読んだ誰か、貴方は、
自分をおざなりにはしないでくださいね。

自分のことを救ってあげられるのは本当の意味で自分しかいない

それはどんなに良好な関係の家族でも友達でもダメで
手助けはできても救うことはできない

自分にガチンコで向き合えるのは自分だけ

優しい誰かが自分自身を責めているのをみるたびに
皆私くらいのナルシストになってくれればいいのにと
願わずにはいられません。


自分のことばっかり考えてもいいと思うよ。たまにはね。


では皆様、よい夜を!



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