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「サンタさん信じていますか?」~WEBラジオくるみの日々酒、第四夜~

皆様こんばんは、KURUMIです。

毎月第2、第4金曜日の夜21:00にyoutubeと、ここnoteにて同時更新中
WEBラジオ「くるみの日々酒」
今夜で4回目の更新と相成りました。

お酒を飲みながら日々感じたことをぼやきつつ
毎回1曲だけ私の今聞いてほしい曲を選曲して
その曲の何が好きなのかを愛情込めて語ったりしています。

前回は、今まで仕事を「任される側」でいることが多かった私が
年齢を重ねることにより「任せる側の大変さ」に
ほんのり気づいてしまった、という話をだらだらしています。
お供のお酒は「サッポロ 麦とホップ ダブルビター」でした。

「誰かに仕事を任せるということ」~WEBラジオくるみの日々酒、第三夜~」

今回は更新日がドンピシャでクリスマスと被ったことにより
浮かれた私は調子に乗って
1人でスパークリングワインを1本あけることにしました。

「私は熱狂的なサンタ信者の一人だった」

各家庭により事情や状況は様々、
サンタさんという存在を子供にどう伝えるかは親次第である。

それを前提として置いた上で、我が家の思い出話をさせてください。

私はサンタクロースの熱狂的信者だった。
おそらく小学校6年生くらいまではガチのガチで信じていた。

しかし小学6年生ともなると「いやサンタなんていねえから、親でしょ」
という意見がクラスの中でも一般的で常識的という雰囲気になってくる。
そんな中でも私はまだ信じていたのだ。

ただ当時から弱虫豆腐メンタルではあったので
表面上はそういう意見に口裏を合わせていた。
「まだ信じているやつなんていないっしょ~」
なんて言葉をつらつら吐き出して、へらへら笑っていたが

心の奥底では
「こいつらは馬鹿だ。信じてないなんて、そんな大人みたいなこと言ってたらサンタは本当の意味では来てくれない。信じる子のところにしか来るわけがないだろう。私はお前らとは違う。」
と思っていた。本気である。

私が夢見がちであり、信じたいと願っているタイプの子供だった、
というのももちろん要因のひとつではあったのですが
私がここまで熱狂的サンタファンであったのはひとえに
母のせい、というか母のおかげである。

私の母はファンタジーや超常現象など、とにかく不思議なことが大好きで
小さいころから「不思議なことは世の中に当たり前にあるよ」という擦り込みが凄かったように思う。

雨上がりに外を母と歩いていると
蜘蛛の巣に雨のしずくがひっかかっているのを指さして
「みてごらん、あれはね、夜中のうちに妖精が編んだ編み物なのよ」
と言ってみたり

草むらが円状のサークルっぽく踏まれているのを指さして
「あれはね、妖精が集まって踊った跡なんですって」
と言うのが日常茶飯事で

母の書棚には「世界の妖精図鑑」やら
「小人の世界」「天使の画集」などがぎっしり並び

ついでに本好きで哲学好きな父からは
大量のギリシャ神話や星座にまつわる話、外国の神様の話を聞かされ
その類の本を沢山読まされていた。

だからサンタなんてそりゃもう、当然居てしかるべきと思っていた。
子育てはある意味で洗脳に等しい。
(誤解のないように伝えておくと私はそんな変な両親が大好きです。)


母は私がサンタを信じる根拠もしっかり提供してくれていた。

毎年我が家にはサンタからの手紙が欠かさず届いていたのである。
サンタはスウェーデンに住んでいるので全文英語の手紙で読めない、けど
いつも最後の一文だけ近しい人しか知りえない私への特別なメッセージが
日本語で添えられている。

例えば「いつも頑張り屋さんなくるみちゃん、最近はピアノを頑張っているみたいだね、応援しているよ」等。

このたった一言を読むたび当時の私は相当ぞくぞくしたものです。
サンタには全てが見えている…!なんて。笑

そもそも全文英語の手紙なんて両親が用意できるわけがない
うちにはちゃんとサンタが来ているのだ。

それは私が心からサンタを信じているからだと
その手紙は私に信じる根拠を提供してくれていて
私は毎年心を込めてサンタにお手紙を書き
わくわくしながら返事を待った。

なんとかサンタに会いたくて必死で夜更かしをしたこともあったけど
あえなく撃沈。今なら余裕なのに。笑

イブの夜、サンタを待ちながら、どきどきとそわそわに包まれて眠る夜を
大人になった今も忘れられない。


残念ながらその後私は、たまたま探し物をしていた時に
両親の書棚から出てきた
「サンタ教会、お手紙サービスのご案内。お子様に夢を与えましょう!」
というひどく寒々しい文章の紙をみつけてしまって
毎年サンタの役をやっていたのは紛れもなく両親だったということに
気づいてしまうのですが。笑

サンタから手紙が来るようにするサービスなんてあるのね
よく見つけたものですよ私の親も。


「私は今でもサンタ信者かもしれない」

当時は心底信じていた分、
涙ながらに「なぜ嘘をついたのだ」と親を問い詰めたし
当時まだ同じようにサンタを信じていた3つ下の妹には
真実を告げることができず
悶々とした気持ちをしばらく抱えていましたが

当時から10年以上軽く経過して大人になってしまった今もなお
サンタの役は親がやってくれていたが
サンタは本当に存在しないのだろうか?
と、心のどこかで思い続けていることに気づいてしまった。

先日クリスマスクロニクルという最高に素敵なクリスマス映画をみて
改めてそう感じてしまったのです。
(まじで素敵な映画なので是非クリスマスの夜に見ることをオススメしたい。サンタを信じたくなるよ。笑)

私は両親に夢いっぱい詰め込まれて育てられたので
世の中の不思議なこと、を否定することができない。
(否定したくない、という方が正しいかもしれない)

残念なことにさほど頭がいいわけではなかったので
理論的に説明したり否定したりするのが苦手なのも手伝って

学生時代はさすがにまわりに合わせて自重していましたが
大人になってしがらみがなくなるほどに自分が見えてくる。

私はいつもどこかで
「説明のつかない不思議なこと」は世の中にあると信じていて
サンタ、という存在もそのひとつ。
大人になって口に出さなくなったけど
今もどこかでサンタという存在を信じたい。

クリスマスくらいそういうハッピーな存在が
どこかにいてくれたっていいじゃないか、と思っているのです。

だから今でも私にとってクリスマスの夜は特別で
自分で自分にクリスマスプレゼントを買うようになっても
クリスマスに感じる特別感と、少し浮足立つ気持ちが損なわれることはない。

私の親はある意味で私のことを熱狂的サンタ信者にすることに成功したと言える。

まさか30歳になってもクリスマスにわくわくし、クリスマスに夢をみることができる大人になるとは私自身も思っておりませんでしたよ。

全ては子供のころに心底サンタを愛して「不思議」を心から信じた
あの時に与えられたキラキラした気持ちと思い出のおかげだろうし
それを作り出した両親に感謝したくなりました。

私はもう大人だし、今年はコロナで実家に帰れない。

それでも私の母は家中をクリスマスグッズで飾り付け
巨大なツリーを引っ張り出してきてコテコテに装飾し
愛犬にまでクリスマス柄のお洋服を着せて
シュトーレンを手作りして焼いた上で

「メリークリスマス!」

と沢山の写真を送ってきた。

私もこうでありたいよな、と今までのクリスマスの思い出がよみがえり
ほっこりした気持ちになったのでした。

私はお酒が大好きな両親にちょっと特別な日本酒の飲み比べセットと
可愛いツリーが描かれたカードに「メリークリスマス!」と添えたものを
クリスマスの夜に届くように送りました。

今頃はそのお酒で乾杯していることでしょう。笑

私も今夜はこのクリスマスの夜にだけ味わえる幸福感を抱いて
美味しいスパークリングワインを開けるつもりです。

今日は、偽善者でもいいから
なるべく多くの人が幸せなクリスマスを送れますようにと
願わずにはいられません。

どうかこれを読んでいる皆様にも
素敵なクリスマスが訪れていますように。


次回更新は1/8の金曜日

クリスマスにお正月、イベントが続きますが
お互い、飲みすぎには注意しましょうね。笑

それでは皆様、よいクリスマスの夜を。

KURUMI



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