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今年一番手渡された言葉

「ゆうこさんが心の支えでした」

昨日まで一緒に働いていた同僚が去っていくという場面が、今年も何度もありました。
その度に手渡された言葉。
心から喜ぶことも謙遜することもできず、上手な返答を見つけることができないまま2021年が過ぎようとしています。

この言葉に込められているであろう想いは推測することしかできません。
ただひとつだけ私が小さく誇れることがあります。

【私はどんな状況においても相手にとって心地よい存在であった】

これは私が社会人2年目の冬に自分自身と約束したことを、守ることができているということ。
あの時の私に「なかなかやるじゃん」と褒めてもらえるね、よかったねと大掃除をしながら口元を緩ませています。


社会人2年目の年末。
入社当時にいた同じ課の先輩たちが一人去り、二人去り、とうとう最後の一人が退社していきました。
営業事務として働き始めてやっと日常業務を一人でこなせるようになった頃の出来事です。
まだまだ独り立ちには程遠く、頼る人がいなくなった不安でいっぱいでした。
ただひとつポジティブなことがあるとすれば、社内の女性派閥がなくなったということ。
入社当時、社内の女性社員は大きく2つの派閥に分かれていました。
どちらかに所属するように強制されたことはなかったけれど、どちらにも角が立たないように振る舞うことは、仕事でいっぱいいっぱいな新人の私にとってはストレスフルな状況。
でももうそんな気遣いをしなくていいんだ!と気づいたんです。
後輩たちには仕事以外のストレスを感じて欲しくないから、私は絶対に女性社員が対立するような環境にしない、そう決めました。

その後、その会社で15年働き名実ともに立派なお局となりましたが、後輩たちは仲違いすることもなく、お昼休みはいつも賑やかに談笑し、大きな仕事をやり遂げたらお疲れ様会をしたり、社内の忘年会では女性社員だけ抜け出して二次会したりと、適度な距離感で円満に過ごすことができました。
人に恵まれたということが一番の理由だとは思います。
ただ私なりに心がけていたこともありました。
それは本当に当たり前のこと、たった3つだけ。

・感謝の気持ちはその都度、ありがとうと言葉にして伝えること
・手一杯になったら無理をして相手に気を遣わせるのではなく、周りに頼ること。
・毎日全員とあいさつ+αの会話をすること。

これは今でも常に心がけていることです。

お局を卒業するときも、その後転職した職場を卒業するときも、そして各職場で誰かが去っていくときも、必ずと言っていいほどに手渡されてきた冒頭の言葉。

「ゆうこさんが心の支えでした」

心がけを実践する中で「いつでも機嫌のいい私」が身についてきたってことなのかな。
「いつでも機嫌のいい私」をみんなが受け入れてくれたという証…なのかな。

だとしたら、嬉しい。
心から嬉しい。
誰かと時間を共有する中で、相手の気持ちが和らぐような私でいることは人生の大きなテーマでもあります。
(もちろんこれが弱点になる場面もあって、それはこれからの課題なのですが…。)

去っていく同僚からかけられた冒頭の言葉には、支えになりきれなかった私もいるわけで(彼女たちが働きやすい環境を一緒につくりきれなかったから辞めていくわけで)、手放しで喜ぶことはできません。
これからの課題はそこ。
2022年からは3つの心がけに、それをクリアしていく何かを足していかなければなりませんね。

とはいえ、社会人なりたての私が失敗を繰り返しながらも育て続けてきた、在りたい自分という樹が、少しずつ実をつけ始めてきたのだと感じられる2021年の年末。

今年もありがとうを沢山伝えられた、良い年でした。
年越しは自分自身に沢山ありがとうを伝えて労います。

2022年も感謝と好きを沢山伝える年になりますように。





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