恋人
つい先ごろ我が人生に初めて恋人が実装された。それまで、いわゆる年齢イコール恋人いない歴だったわけだ。
そういう言葉を使う多くの人がそうであるのと同様に、私も例に漏れず恋だの愛だのを渇望していた。思い詰めて気がどうかしたこともあった。単なる知り合いを恋人のように錯覚したこともあった。哀れなる個よ。
翻ってどうだ今は。恋人のある私とない私を比べてどうだと言えば、これが何も変わらないのだ。いったいなんということだ。私は天地がひっくり返ると思っていた。この飢餓のような孤独から逃れられると想っていた。
毎日会っているわけではない。付き合って間もない。関係がまだ築かれていないからといえばそれまでだが、しかしこの手応えのなさはどういうことだ。
恋人は優しい。こちらを見、聴き、話してくれる。
私のいる側にカバンを持たないし、率先して提案してくれるし、言葉を惜しまない。最初から最後まで集中し、常ににこやかで穏やかで純粋な態度でいてくれる。
年の功かもしれない。それを言うなら私もで、ちょっとやそっとで感情は揺れない。なんせ二人の年齢を合わせたら人ひとりの一生が容易く過ぎるのだ。
感情が揺れないから実感がないのだろうか。孤独が長すぎたからニコイチに慣れないのだろうか。
結婚というフィールドに住まうことになったらまた変わるかもしれない。見る影もないほど怒りっぽく激しい気性が表れるかもしれない。もしくは人が変わったようにメロメロきゅんになるかもしれない。
未来が分からないという点では恋人があってもなくても同じと言える。まあ、1秒先に振られている可能性もあるわけだし。
こどくという点では、まあ恋人を実装しようがしまいが、私が個である事実は変わらないわけだ。
ただ希望を持っていたい。誤解を恐れず言うなら、何せ異質なる個が互いに干渉しあうのだから。誕生するのが小惑星かブラックホールか、そんな歴史に残るようなことまで期待せずとも、ひとつだった観点が倍になるのだ。矮小なる個にとってそれは大事に違いない。
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