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片付けの話(3月17日)

インフルエンザで調子を崩してから、はじめてまともに掃除をした。部屋が汚いとやる気も優しい心もなくなってしまうので暮らしの質が低下する。子どもも興奮する気がする。いいことがない。

家具や装飾の配置は大事だと思う。風水の勉強なんて何もしたことはないけど「これは風水的に悪いね」と詐欺師みたいにいい加減なことを言ってみたりする。「空気が悪い」とか「風の流れが悪い」「光が入ってこない」「ごちゃごちゃしている」「ホコリっぽい」「統一感がない」とかを、面倒なのでまとめて「風水的に」と言っている。でも私の直感はあながち間違いでもない気もする。

美味しいご飯を作るキッチンには「料理の神様」が住んでいるのも、私にはなんとなくわかる。だからキッチンは常に綺麗にしておかないと神様が逃げてしまう。食材に触りすぎても神様は嫌がって逃げるので、途端に料理は不味くなる。私の生活の中には、小さな神様が「美的感覚」みたいなものと結びついて複数存在している。これはある意味正しくて、一方では強迫神経症的だ。誰しも子供の時に「道路の白線を踏んで歩かなければ死ぬ」みたいな謎ルールに縛られて生きていたはずだが、その白昼夢が30代になっても続いているわけだから。

私の掃除は①とりあえず分類する②分類したものを整理するの2段階で行う。具合が悪くても①まではできる。具体的に言うと、タンスに洋服を入れるが畳まずとりあえず放り込むような状態。①までやってしまえば部屋の見た目は汚れないが、いつまでも②に移行できずにいると「後ろめたさ」という怪物が育っていく。押し入れに飼っているこの怪物をバレる前に始末しなくてはと焦る。何をしていても怪物の呼吸音が気になって落ち着かない。

物を捨てる時も「捨てようかな」と思うものを一旦ビニール袋に入れて2週間保存してから、本当にいらないと感じたら捨てるようにしている。段階を経て気持ちが変わることはなくほとんど捨ててしまうのだけれど、稀に勢いでビニール袋に大事な物を突っ込んでいることがあるので、毎度青ざめる。不注意のたび自分を信用できなくなる。

どうして掃除を頑張ったのかというと、2泊3日で旅行に行くからだ。人のいない部屋は時間が止まって仮死状態になる。なるべく綺麗な状態で家を休ませてあげたいと思っているし、単純に帰宅してから部屋が汚いといつも以上にがっかりする。スムースに日常に戻っていけるように、掃除は旅行前の準備の一環なのだ。そうは言っても子どもたちが春休みなのですぐに汚れていく。なかなか片付けは終わらない。

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