【What本位制 is it?】中心を見極める→目線が変わる→景色が開ける→とける

大学に入る前、私は、大学は学問の中心だと思っていた
でも全く違った。
学問と言う点では、それはあまりに粗末である。

研究室に入る前、私は、研究は求道の中心だと思っていた
でも全く違った。
求道という点では、それはあまりに稚拙である。

どうやら、

日本の大学は世界的権威を支えることに必死なようだし、

日本の研究は世界的機関に貢ぐことに一生懸命なようだ。

それもそのはず、

「教育」というものは総じて、

その時代の権威によって出資されるものだからだ。


これらの「実感」を基に、現状認識を改めると、

大学の機能は「分断統治の中心」

研究の機能は「自己家畜化の中心」



私がこの人生で好き好んでしてきた「贅沢」といえば、
これくらいのもので、

あとは、お金のかからない程度で人と交わること、
空を眺める時間を持つこと、
愛する人々に己の人格を分散投資すること、
手頃な料理を楽しむこと、くらいしかしてこなかった。

もちろん、これが「当たり前」だなんて思ってない。


しかし、これが「当たり前であって欲しい」とはよく思う。


私は、これまで、

全人類が同じことをしても
やっていけると思うようなこと

のみに注力し、それ以外のことはほとんどしてこなかった。


しかし、これはあくまでその時々の判断力に準拠したものであり、

その方針、範囲は時間を通じて多少変わってきたことは確かである。


いま、私が抱えている間違った問題
考えあぐねている中心事項は以下である。


・結婚は区別の中心?

・雇用は人身売買の中心?


つまり、「それって倫理的にどうなの?」って、

ぼくの心が長らく、ヘソを曲げている事項。


たぶん、やればわかるんだろうけど、

その一線が超えられないぼくは大愚大愚。


「赤信号みんなで渡れば怖くない」


えーー、でもさーー、って思っちゃう。


だって社会的契約だぜ?

おれほどの信心を持った人格者が、社会的に契約しちゃうんだぜ?

本当にいいの?

って

はぁ(´・ω・)


なるほど、ぼくは真摯すぎるのか。

誠実すぎると社会人にはなれないのか。

もっと軽薄に、愚直に、無謀に、能天気に

なれるかな、なりたいな、

でも、この時代に、全人類がやれること、

「全人類がやれること、」


これがぼくのあまりに細いネックだ


よし、お得意の

結婚と雇用の「再定義」をしよう



<いつかに、続く>



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