『納税者諸君へ』「お金」というお布施(ダーナ)の素材に関する方便

毎日毎日🍀納税できておめでとう!🌸

まず、”我利我利亡者はさぞ辛かろう” というお話を引用します。

迦葉尊者⑥(貧しい村への托鉢)

迦葉がいつも貧しい村に托鉢に行くのを
不信に感じた他の釈迦の弟子達が
迦葉の後をつけてみた。

いつものように迦葉は貧しい村へと出かけていった。
どの家からも門前払い。誰も布施する者はいなかった。

村はずれにくると、一人の年取った女乞食が
物乞いをしていた。
ライ病にかかり、近寄る人もいなかった。
その老婆の前に立った迦葉は
「お婆さん、私はお釈迦様の弟子迦葉というもの。
 どうか、何か布施をしてはもらえぬか。」
と言った。

するとお婆さん、迦葉の真面目な姿に
「見ての通り、差し上げたくとも、
 私には何もあなたに布施できるものはありません。」
と断ると、
目の前の汚いお椀の中にある腐ったお粥、
自分でも食べるのを躊躇しているお粥を指差され、

迦葉は言った。
「ここにお粥があるではないか。」

「こんな物は私でさえ、食うことのできないもの。」
とお婆さんが答えるが、迦葉は有難く頂戴する。

その時、差し出したお婆さんの指からライ病の
膿が一緒にお粥の中に入ったが、
気にせず、迦葉は飲み干した。

「お婆さんの尊い布施のお陰で今日一日の
 生きる糧を得ることができた。
 この功徳でお婆さんよ、幸せになれる
 ご縁を結ばれた。」

お婆さんは自分が我利我利亡者の心の報いで
今日の貧しい辛い生活があることを知らされ、
改心したのである。

この一部始終を見ていた仏弟子達は
迦葉の元で修行する道を選んだ。

引用おわり。


神仏を祈っても仕方ない
あの世はないと語ったブッダがなぜ布施を説いたのか
なぜ貧しい家にも布施を求めたのか


その答えがここに?!

残念でした~ 答えは書いてませ~ん
問いがあるだけでした~

まぁ、書いてあったとしてもどうせ方便だからね


私が思うに、
お布施にはいくつかの種類があって、

・時間のお布施
・精神のお布施
・生活用品のお布施
・真言のお布施
・金銭のお布施
・身体のお布施
・協力のお布施
とまぁ、こんなかんじに、

信仰心が伴っていればだいたいのことはお布施になるし、

・蕩尽のお布施
・贅沢のお布施
・豪遊のお布施
・慢心のお布施

なんてのもときには在り得ると思う。

要は、普段やらないようなことをやって、
偏見をなくしたり、
肩の力を抜いたり、
覚悟を強めたり、
真理にお近づきになったりすることが

ブッダが在家者に求めたことなのだろう。

「在家である時点で十分に世俗的なのだから、
せめて不要なこだわりを取り去りなさい」


ということで、お布施や、喜捨、托鉢というものがあるのだと思う。


「寄付金がどう使われるのか」

「税金がどう使われるのか」

「お賽銭がどう使われるのか」

そういう話で一喜一憂するのではなく、

普段から、明け渡せるものを

自ら進んで明け渡す習慣を付けておくことが、

来るべき日に、〇にすべてを明け渡す練習になるんじゃねーのー

みたいな感じなんじゃねーのー


とは言え、

これほど豊かすぎるほどに豊かな時代に、

貧乏な人がいるのか、

我利我利亡者であることに無自覚な人がいるのか、

徳を気にする人がいるのか、

はなはだ疑問ではある。

みんなそれなりに幸せそうだもの

すばらしいことです👏




『横ばい力』💪




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