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感情と状態と三角関数〈sincostanの使い方〉

大小何事にも春夏秋冬、盛者必衰、諸行無常の法がある。

sinを不調、cosを好調、tanを気分としたあまりに単純すぎるグラフです。

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〈禍福は糾える縄の如し〉

春うらら

かれは絶望をまだ知らない。

かれは無知で無垢で潔白で清らかで、曲がりがない。


春惜しむ夏

かれの不調は強まった。

あの頃のように順風満帆ではいられない。


彼岸を知った秋

かれの不調は弱まった。

無垢と禍福を知ったかれは来たるべきときを待つ。


減衰と恍惚の冬

感覚は鈍っていくばかり。

過ぎゆく日々をただ送るのみ。


      ―——


西洋文明的には冬まっしぐらのような感じですが、

私個人は人生の中の二回目の好調期、初夏にあたるような気がしています。

学生生活としては中秋の頃かもしれません。



グラフによれば、

人は不調が強まる中で希望を感じ、

好調が強まる中で絶望を感じるようです。

まあ、当たり前のことですかね。


よい状態にあるとき、その心は低く、

わるい状態にあるとき、その心は高い。

まあ、当たり前のことですかね。


社会を「良くする側」は気分が良く、

「良くされた側」は気分が悪い。

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sinを不調、cosを好調、tanを気分としましたが、

ご存じの通り、三角関数は互いが互いを規定する、

とても不自由な三すくみのような関係で、

それでいて安定、絶対、強固なのです。

なので、関数と言葉の組み合わせは無限に想定できると思います。


三角形ならば、交点は三つですが、

十億角形ならば、十億の要素、

10^80の原子があれば、それだけの要素が関係し合っているわけで、

三角関数はその中では最も単純な形と言えます。


数学とはかつてマテーマタ「学ぶべき事」を意味しました。

数学に意味を求めることは、学問の意味を求めること、

ひいては人間性の意味を求めるのと同じです。


意味が欲しければ、自分で見つけましょう。

見つからなければ、無為に適当に息災でいられるよう、

それなりの覚悟が必要です。

「決まった意味がある」という関係性ほど、気が楽な状態はありません。

まあ、気が楽ということは、そこから絶望に転じるわけですが。




〈まとめ〉

絶望に動じず、黄昏ていれば、気づかぬ内に絶好調、

そして、なんやかんやいろいろあって耄碌して恍惚の最中でお終い。

はい、チャンチャン。






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