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#エッセイ
みたび お盆にぼんの話など
連休初日の朝ほど気分の良いものはない、ということで、唯一の趣味といってもいい「ぶらっとひとりドライブ」にでた。朝の早い時間にコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、琵琶湖岸や田んぼに挟まれた県道を好きな音楽を聴きながらのんびりと二時間ほど走る。
県道の、ぼんが死んだ場所を通ったとき、いつもは思い出さないのに、ふと彼のことが脳裏に浮かんだ。
「おにいちゃん」と、声ではなく、ぼくの魂の端っこの方をツン
田中さんは山田さん(仮名)かTさんかAさんか。
怪談本には体験者の名前を別の苗字などを使って(仮名)としたり、アルファベットのイニシャルで書かれたものが多いのはご周知のとおりですが、双方にそれぞれの味わいがあり、どう書くかはつまるところ書き手の好みなのだと思っています。そのどちらかに統一されている作家さんもいれば、作品(本)によって書き分けている作家さんもいらっしゃると思います。
また読者側にも、どちらの方が好みだとか、内容にすっと入り込めると
夏の終わりのじゆうけんきゅう(1)
突然だが、かれこれ50年前、昭和四十年代の終わりごろの話になる。
考えてみれば五十年前ということは「半世紀」も前ということで、そんな大昔に小学生として生きていた子どもがおっさんとなって今も現存していると思うと、自分のことながらなんだか不思議な気持ちになる。
この不思議な気持ちは、ぼくくらいの歳の大人にならないとわからないものだろう。
当時ぼくは小学校の三年生か四年生。
と、少々「時代」を強調した出
夏の終わりのじゆうけんきゅう(2)
夏休みも残り四日ほどになって、小3のぼくは頭を悩ませていた。
自由研究が少しも進んでいなかったのだ。というより、その時点で何をするかも決まっていなかったのである。
「自由~」なのだから、研究ばかりでなく、実験や観察や、工作や絵画などでもいいわけだが、如何せんあと四日でそこそこカタチにする必要がある。
空き箱をいくつか適当にセロテープでくっつけて、画用紙で目鼻を作り、「未来ロボット」をこしらえるか、
夏の終わりのじゆうけんきゅう(3)
かくして自らの身体をはった自由研究でお茶を濁したぼくだったが、クラスのなかにはやはりどうしても夏休み最終日に間に合わなかった友人たちがいた。
男女合わせて五人ほどだったろうか。
夏休みが開けた初日にそれぞれ研究の模造紙や工作を持ち寄り、詳しい内容は端折って、どんなことをしたのかだけを教室の端っこの列からひとりずつ順番に発表することになっていた。
ぼくは『アシナガバチにさされてからなおるまでのけんき
夏の終わりのじゆうけんきゅう(4 最終回)
一日遅れで提出する自由研究は、教卓とは別に教室の前にある先生の机の上に置いておくことになっていた。
Aくんは先生の言いつけ通り「家のちかくのこんちゅうさいしゅう」の箱を先生の机の上に置いた。
さっそくそれを見ていた他の男子が「どれどれ?」という感じで、蓋を開けてなかを覗く。
すると、その男子は「うっ」という声にならない声を漏らすのと同時に、大きな声で「おいおいみんな見てみ」と他の男子を呼んだのだっ
にぎやかな静寂 「夢の話」
こんな夢を見た。
仕事帰りに何者かに拉致されたようだ。
早よ帰らんと、みんな(家族)が心配しよる。
そう思いながらも、今朝、朝食をとりながら交わした会話が、妻や子どもたちとの今生の別れとなるような予感に、ぼくはすでに絶望している。
嗚呼、昔あの人たちもこういう風にして、ああいう風になったのか。
ぼくは冷たい手術台に固定されたまま、遠い昔子どもの時に大好きだった物語が、夢物語でな