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「もしも」の日々が続いていたら

深夜2時。暗い部屋でスマホ画面をじーっと見つめる。感情的というよりは、かなり作業的に近い時間にはなかなか終わりが来なさそうだ。

「ああでもない、こうでもない…」と思った単語を何度も何度も検索スペースに入れてみても、得たい答えは得られそうにない。

「…何をしてるんだろう」という気持ちを抱くことで、やっと落ち着かせることができたのは、かれこれ1時間ぐらい検索している「パラレルワールド 行き方」という疑問だった。

28歳。なんならもうすぐ29歳を迎えようとしている今、本気でパラレルワールドに行きたいと思っているわけでもないし、そんな世界が本当にあるのかどうかは分からないけど、なぜかその存在を「ある」と過程して調べたくなってしまったのだからしょうがない。

とはいえ、いろんな方の意見を見ていると最終的に芽生えてくるのは「そりゃそうだよな」みたいな気持ちで、「こういう時間を減らしてもっと早く眠りにつけたら、きっと明日はもっと良い日になるんだろうな」という気持ちすら浮かんでくる。

そんな「無駄」と切り捨ててしまいそうな時間を過ごすなかで、ふと頭に浮かんでくる日が1日だけあった。28年間の人生でたった1日だけ浮かんでくるその日は「本来私が過ごす予定だったはずの未来を歩めないことが決まった日」。

パラレルワールドがあるというのなら、確実にこの未来を掴んだ日々がどこかの世界にはあるということ。そう思うと、やっぱり「行ってみたい」という興味が湧いてくる。

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忘れもしない2019年10月24日。前日に24歳の誕生日を迎えた私は、だいたいいつもと同じ時間軸で生活をしていた。当時の私は家族が仕事で出ていることをいいことに、いつもリビングで仕事をしていて、まだ実家には猫がいなかったから、ひとりで黙々と執筆を進めるような、そんな日々を送っていた。

そういう時間をただひたすらに繰り返していたのも、ぴったり1週間後の11月1日に控えた金沢への引っ越しのためで、部活も学校も、何もかも途中で投げ出すことが多かった人生で初めて「自分で叶えられそうな夢」が目の前まできていることにワクワクが止まらなかった。

そしてこの日は友人が誕生日祝い兼引っ越し祝いをしてくれるとのことで、早めに仕事を終わらせて四ツ橋にあるご飯屋さんへ行き、美味しいご飯を食べて、いつもどおりたくさん話を聞いてもらった記憶がある。

そうやって何も変わらなず、ちゃんと自分の意志で積み重ねてきた日々のなかにある楽しみを満喫した帰り道。

「次に会うのはいつですかね?」「またこっちに帰ってくることがあれば連絡しますね」と、ちゃんと別れを惜しむ時間を作ってバイバイをした。(友人は専門学校時代の同級生で年齢が私より上なので敬語)

四ツ橋駅から大国町駅で御堂筋線に乗り換え、天王寺駅に到着するタイミングで、「そういえばチャットに通知が来ていたな」と思い出し、チャットを開くと、そこに書かれていたのは「今月いっぱいで契約満了」の文字だった。

途中離脱はあれども、なんだかんだで7年この仕事をしている今改めて考えると、もっと自分からできた提案はたくさんあったと思う。でも、考えることを手放してしまったような大きくダメージを受けた脳みそでは何も考えることができず、ただ明確にそこにあったのは「明日来るはずだった未来がなくなったこと」。それだけだった。

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この後の話はいろんなnoteに書いているから端折るけど、結果的に金沢には少し遅れて引っ越しをして、3つアルバイトを掛け持ちしながら生活をしていた。とはいえ、思い描いていた未来とはまるで違う道を手探りで歩む日々は、全くを持って心のバランスが取れなくて、わざわざサンダーバードによって実家に帰る日も多かった。

とはいえ、生活は続く。紆余曲折ありながらも「ちょっと慣れてきたかな」と思ったタイミングコロナがやってきた。

働いていたお店は閉まったり、人員を削減したりと、思うようにいかない日々のなかで、当時、何度も何度も考えたのが「あの日仕事が続いていたら…」というタラレバだった。

この世界に”必ずはない”と分かっていても、あの未来は本当に得ることができなかった未来なのだろうか。

コツコツ仕事をして、着実に一歩ずつ進んできたはずのマスに突然現れた巨大な落とし穴は、本当に飛び越えることはできなかったのだろうか。

考えてもキリがないことばかりを考えたくなる夜、最終的に辿り着いたのは、いろんな「もしも」があるなかで、辿り着いた今があるなら、その今を大切にするしかないということ。

とはいえ、こういう答えに自分を無理に落とし込んでいるような気もする。正直「まあ、これ以上考えても意味がないしな」というのも事実だ。

だから今日はせっかくだから、いつも自分がしないことをやってみようと思う。

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「もし私が2019年の10月24日に仕事が無くなっていなかったら…」。

言葉を思い浮かべながら、パソコンのキーボードに手を置いて、色んなことに想いを馳せてみたけど、全くと言っていいほど何も浮かんでこなかった。

まずは「浮かんでこないんだ」ということに驚いてしまう。このnoteを書き始めたときは、「あんなこと」「こんなこと」がきっとたくさん浮かんでくるようなそんな気がしていた。

とりあえず一番思いつきそうな「金沢にまだ住んでいる」と思い浮かべてみたものの、「住んだからこそ色んな壁にぶつかって、どっちみち戻ってきてそう」と素直に思うし、「見知らぬ土地で友だちができた」と書いてみても、「1人でカフェとかに行くぐらいで友だちなんてできてないんだろうな」とあまりにもネガティブな考えが浮かんでくる。

書いていて思ったのは、「あのまま仕事が続いている未来があっても、知り合いもできず、ただ仕事を重ねる日々に飽きて3ヶ月ぐらいで大阪に戻ってきていたかもしれない……」という答え。でも、それが一番しっくりくるのも私らしい。

定期的にあの日のことを思い出すことがあって、そのたびに「それは進むことができなかった未来」とウッとなっていたけど、なぜか今この瞬間に、「あのまま続く未来が良かったとは思えない」と、あるはずだったパラレルワールドへの希望を完全に手放すことができた気がする。

今日はそんな日。




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