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わたしと映画館のはなし。

映画を観るときは一番後ろの真ん中に座る。
金城一紀の映画篇を読んでから、ずっとそうしている。

わたしの生まれた町に映画館はない。
電車で40分の市内へ出るか、夏休み等の長期休暇の際に公民館での上映を観るかだ。(長期休暇の前に学校で映画の割引券のようなものが配られたのを覚えている。細長いつるつるの紙で、映画のタイトルが書いてあって。)

公民館はもちろん映画館ではないのでポップコーンなんてものはない。飲食可だったかは覚えていないが、上映中になにか食べた記憶はない。それほど映画に没頭していたのかもしれない。

今でも映画館でなにか食べたりということはあまりしない。ひとりで行く際は飲み物だけ購入している。子供のときの記憶が影響しているのだろうかと、ふと思った。

夏休み、母の実家に遊びに行った際映画館に連れて行ってもらったこともある。今ではないであろう立ち見で。小学生なので、画面全体は見えない。それでも疲れたという記憶は残っておらず、とても興奮したのを覚えている。

スタジオジブリのもののけ姫である。

この作品に受けた影響は大きく、わたしの血肉の一部はもののけ姫でできていると言っても過言ではない。

小学校高学年になると電車で市内へ出て、映画館にも行った。リング0バースデイを観に行ったのだが、電車の時間がなくて一本目(二本立てで、リング0は二本目だった)の多重人格ホラー?映画だけ観て帰ってきた。ISOLAだった気がするが、洋画だったような記憶もある。結局未だにリング0バースデイは観れていない。
その時の予告で流れていた乱歩地獄に圧倒され、大人になってからDVDを買った。何度も繰り返し観たぐらい好き。

高校生になると、学校近くのショッピングセンターの上の小さな映画館へ行った。当時付き合っていた彼氏の友達がそこでバイトをしており、しばしば貸切上映をしてもらったりした。着信アリや、ハウルの動く城なんかを観た。

専門学生になり、家を出て学生寮で生活した。学生寮の向かいには大きなショッピングモールがあり、そこに映画館も入っていた。シネマコンプレックスである。学校終わりにひとりでレイトショーにもよく行った。

今でもトラウマになっているサイレントヒルはここで観た。「母さんそばにいてー」という字幕が、わたしには音声のように耳に残っている。後半はずっと眼をつぶっていた。
ティム・バートンのスウィーニー・トッドもここで観た。シザーハンズやナイトメアー・ビフォア・クリスマスは何度も何度もビデオで観ていた。わたしはティム・バートンの色彩が好きだ。まわりがカップルだらけだったのを覚えている。

そしてこの映画館からわたしのエヴァンゲリヲン新劇場版は始まった。

(TVアニメ版はもちろん観ている。当時学校で大流行りしていたし、ポテトチップスについてくるカードを集めたりした。劇場版Air/まごころを君にもしっかりトラウマになっている)

就職してからはミニシアターにもよく行った。映画のチラシがかわいくて、映画館へ行く度に少しずつ集めていた。
その頃観たのはマイケル・ジャクソンのTHIS IS IT。席が空いていなくて一番前で観た記憶がある。隣の女性は号泣。職場の先輩が「惜しい人を亡くした」と彼の死を大層嘆いていて、そんなに言うならば、と観てみた。それからわたしもマイケル・ジャクソンを聴くようになった。

とても楽しみに上映を待っていたのはモンスターズクラブ。瑛太、窪塚洋介、KenKenと、わたしの為の(ような)配役で、さらにこれがピュ〜ぴるとの出会いだった。(wikiには現代美術作家とある。)生肉を纏った姿は官能的で、それからすぐピュ〜ぴるのドキュメンタリーをレンタルショップで借りて観た。

正社員で入った会社を1年で辞め、そのあとはふらふらとフリーターをしていた頃。精神が病んでしまって仕事を休んで映画館に行ったこともあった。それで復活すると思っていたのだ。けれど何をみたか覚えていない。仕事を休んだ罪悪感だけを覚えている。

あとはヘルタースケルター。蜷川実花が好きだったのと、窪塚洋介が出ていたから。毒々しい感じが大好きで、何度か映画館に足を運んだ。

そしてベルセルク、黄金時代篇。アニメの存在は知っていたが、地方では放送されていなかったはず。小学生の頃から好きだったバンド、PENPALSがオープニングを歌っていたので知っていた。映画を観に行こうと思ったのもPENPALSの歌が聴けるのではないかと思ったからだ。
結局上記の曲は流れなかったけれど、迫力の映像美と平沢進の音楽に圧倒された。三部作全て観に行った。

この間にエヴァンゲリヲン新劇場版:破とQも公開になった。

なんだかんだあり、東京で働くことになった。
都会は映画館もたくさんあるし、いっぱい観れる!と思っていたけれど、都会での生活に疲れ切っていてあまり映画は観られなかった。帰りの電車で座れたら、泥のように眠っていた。

そんな中でも観に行ったのが、君の名は。事前情報がないまま連れられて行ったのだが、しっかり泣いて帰ってきた。隣の女子も嗚咽がもれるほど泣いていた。その後も3回は観に行った。今はもう手放してしまったが、Blu-rayも購入し、何度も観た。「あの人の名前が、思い出せないの」のセリフで絶対に込み上げる。
渋谷の映画館だったと思う。帰りに浅野いにお展を観に行った。

もう一度観たいと思っているのはヒナギク。1966年のチェコ映画だが、ユジク阿佐ヶ谷で観た。(この映画館はもう閉館してしまったと聞いた。もっと観に行けばよかった。)とにかく女の子がかわいくて、狂っていて、説明はできないけれど、この画を見たときに絶対に観たいと思った。仕事終わり、帰宅するのとは反対方面の電車に乗り満身創痍で映画館に辿り着き、帰りは良い意味で脳内がめちゃくちゃだったのを覚えている。

結婚したあと(すぐに離婚するのだけど)愛知県へ引っ越し、都会から離れて元気になったわたしはまた少しずつ映画館へ通えるようになっていた。
よく行っていたのが、シネマスコーレ、ミリオン座、センチュリーシネマ、シネマテーク。

シネマスコーレのあの小さな受付の窓からチケットを買うのは緊張した。初めてシネマテークに行ったときのルールのわからなさに不安を覚えた。しかし知らない映画館へ行くたび、RPGの主人公のようにちょっとずつ経験値が上がっていくような感覚があった。それが誇らしくもあった。

空いた日があれば映画館を検索し、面白そうなものがやっていたら観に行った。(映画ではなく映画館を検索していた)

その当時観ていた映画のパンフレット

わたしは映画に詳しい訳でも、映画館に詳しい訳でもない。けれど映画も映画館も好きだ。今まで観てきた決して多くないは映画達は、確実にわたしを作り上げる一部になっている。

サブスプリクションで簡単に映画を観れる今では、やはり映画館に行く機会は少なくなってしまったけれど、絶対に観たいと思ったものは、映画館で観るようにしている。
家と映画館では全然違う。家で観た映画には、邪魔な景色の記憶が残るが(たとえばテレビの前のテーブルに置いたグラスだったり、寝っ転がって観た時の角度や見切れてるまくらの端っこ。)映画館で観たものは純粋に映画の記憶が残る。

なにより誰にも邪魔されない自分の世界に没頭できる感じが好きだ。

何度も引っ越しをしてきたけれど、やはり映画館と本屋とパン屋は必須条件だと改めて思う。
(ちなみに今はそのどれもない。車では行ける距離だけれど。)


映画を観るときは一番後ろの真ん中に座る。
金城一紀の映画篇を読んでから、ずっとそうしている。

だからわたしは映画館に行く。



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