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違和感をスルーしないで生きよう。

日々の仕事があまりに忙しいと

入社直後に感じた違和感を無視したり

この業務おかしくないか?と感じたことに向き合わなくなる。

向き合って業務を見直していくにはものすごくエネルギーが要る。

日常業務が忙し過ぎると業務を回していくのが精一杯だからね。


妹が某大学病院で出産したときに面会に行くと

定期巡回で見回ってきた看護師が眠っている甥っ子をペンペンと叩いて起こして

業務をしているのを見た時に怒りが湧いた。

目が開いてない彼を叩いたら

どんなにか怖いか、不安になるかにすら

思い及ばない人間が医療に携わっているわけだからね。


赤ちゃんの気持ちより業務遂行を優先して仕事が行われていた。

赤ちゃんは言い返してこないからね。

そういう仕事のやり方がまかり通ってしまう。


ふつうの仕事よりは他人を助けたいという志を持って入社してくる業種なのに。

誰もが入社したての頃は

寝ている新生児を叩いて起こすという感覚は持ち合わせていないと信じたい。

それなのに割り当てられた仕事量や効率化という名の下に

触れている人間の気持ちを感じないように鈍って職場環境に適応していった結果を

たまたまぼくが目撃したんだと思う。


自宅で死なせてあげるサポートを行なっている

緩和ケア医の萬田緑平先生。

その本を読むと萬田さんが病院で感じた違和感を無かったことにせずに

患者さんとその死に向き合ってこられた医師だと言うことがよく分かる。


なぜ病院では苦しんで死ぬ人が多いのか。

最期に顔を苦痛で歪ませて亡くなれば

当然、家族は重苦しい空気に包まれる。

医療の患者との向き合い方に違和感を抱いた萬田さんは

ご自身で緩和ケア医として活動されていく。

本人がやりたいことをさせてあげるという方針。


そんな先生いわく

病院の医師はこんなにも人間が穏やかに死んでいくということを知らないと書かれている。

本人のやりたいことをやらせてあげて

本人も家族も死を受け入れてから迎える死の光景は

病院での死の光景とは全然異なっているんだそう。


友人に付き添って彼の祖母のお見舞いに2度行ったことがある。

2年ぶりに訪問した10人ほどの大部屋。

その空間は2年前から時が止まっていた。

誰も動かない

誰も話さない

ぼくには死体置き場のようにしか見えなかった。


萬田先生はそんな病院の中で感じた違和感をスルーしなかった。

というかスルー出来なかったんだろうね。

自分の感受性を黙らせることが出来なかったんだと思う。


友人の父親がダンプカーにはねられて脳挫傷になった。

助かる見込みがないのにも関わらず

延命治療が行われて

1度も意識が戻ることなく3週間後に亡くなった。

延命治療費の請求は400万円。

バカげていると友人は病院に対しても憤っていた。


現代日本の至る所で似たような医療が行なわれている。

なぜそんなことがまかり通っているのか。

この萬田先生の本を読むと思い至る。

医者にとっての治療というのは

数値を見て、心臓が止まる時期を先延ばしにすることであって

患者がどのように感じて、どのような気持ちで死を迎えるかなどは考慮されていない。


高度医療の医者というのは各臓器の専門家であって

人生の専門家ではないんだと。

だからこそ自分はどのように死にたいのか。

自分の人生をどう生きていくのかは

自分で決めなければいけない人生で最も大切なテーマなんですよって。

誰もが生まれた時から死に向かっている。

人間の死とは。

老化とは。

病院で迎える死についての理解をも含めて

死について明確に思い描くことを助けてくれる

読んでいて何度も涙した素敵な本です。


両親からは以前から延命治療はしないでねと言われている。

そんな両親にもぜひ薦めたい。



※萬田先生の記事。看取った直後のご家族の映像。素敵だね。




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