見出し画像

後ろ姿は無言で異常を物語る

地下鉄の乗換連絡通路を歩いていると

ずっと同じ人の後ろを歩くことがある。


後ろから背中を観察すると

全然動いていない処があるのが見える。

左の骨盤が動いていない人。

腰椎二番の右が動いていない人。

上胸部の胸椎三番の左が動いていない人。

右足首がおかしい人。


後ろから気を通すと、やっぱりその箇所で気がつかえる。

ふだんの生活習慣や、職場の人間関係や

心の使い方、言葉の使い方

さまざまな要素で動かない場所が発生する。


動かないというのは異常。

使い過ぎなどの偏り疲労の賜物だったりするんだけど。

未病だとカラダの持ち主は気付かないことが多い。

そして、そのまま時が流れる。

異常の始まりは1点だけだったのに。

病気と認定される頃には連動しているさまざまなところにも硬直や異常が波及している。


本人が異常に気付かずに、

いきなり死ぬと

突然死と言われる。

けれどもカラダにとって突然死というのはない。


異常を感じることができない鈍いカラダがあったというだけ。

1点から始まった異常が範囲を拡大していっていることを感じとれなかった鈍いカラダが必ずある。

みんな自分は変わっていないと思っているんだけど

異常の範囲が拡大していくと

カラダだけじゃなくって

感受性も鈍っていく。

背骨の弾力が失われてくると

自発的に〇〇したいって要求も

湧き起こらなくなる。


地下通路を歩いていると、

その始まりの1点を表現しているカラダがいっぱい確認できる。

体癖というもともとの資質ならば

持って生まれたカラダの才能だから仕方ない。

動かない1点があっても、

季節の変わり目や、休暇で、

風邪をひいて発熱して回復させているうちは問題ない。

自力で異常を解消できるカラダが整体。

自然治癒力や

ホメオスタシスが

ちゃんと機能している状態。


だから心身において大切なことは

病気治しじゃなくって

整体であるってことだけで済むんだよね。

ホントウはね。


後ろ姿の動かない1点は

改めて整体であることの大切さを思い起こさせてくれる。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?