国外・海外院進学…の前に「制度として考える」"大学"とは?

こんにちは。
これを読んでいるという事はある程度、"大学"や、(特に仕事をし出してからの)海外進学というものに興味をお持ちかと思いますが、そもそも"大学"とはなんでしょう?

この「そもそもの問い」を真面目に考えないで、進学を考える、というのは私には「それが何であり、自分が対価(時間・費用・機会損失)と引き換えに何を得ようとしているか」を考えないで、「よく分からないけど、何となく良さそう」という感覚を根拠に、高級車を買える程の出費をするという、なんとも不条理な支出に思えます。(実家が太いor石油王なら構いませんが…。)

もう少し踏み込んで、学部レベルの進学であれば、「大学生の方が就職上有利である」と雑ではあれど社会通念上共有された利点、またはトロウの言うユニバーサル化した状況での進学の実質的な義務化(Trow, 2006)を示して保護者(スポンサー)を押し切る事も可能ですが、自分の選択で大学院、しかも国外に行くとなるとそうした「ノリ」や「社会的な圧力」というフワッとした言い分で、恐らく自腹の支出を正当化するのは…お金が余っていてしょうがないなら良いですが、一般的に掛ける対価とリスクに対しては無謀と言えるでしょう。(※学部については進学出来た方は、なんだか分からんけどお金出してくれた保護者の方に感謝しましょう…)

この「大学」に進学する事の本質、言い換えれば「大学(という形態の法人*)でしか提供出来ない社会制度的機能」とは一体なんでしょうか。大学の機能は社会的合意が取れない程度に多用ですが、一般論を大別すると教育と研究が挙げられるかと思います。しかし
・研究だけなら企業や公的な研究所でも研究はしている
・教育(の内容だけを得る)なら独学でもMoocs(オンライン配信の大学/大学院の授業)でも良く、学校形式ならば専門学校も(職業教育の場として)あるし、分野によっては私学としての法人格の無い私塾(お笑いのスクールやら、クッキングスクールやら、オンライサロン(笑))でもある種の自前での卒業・認定に対応している。
・教養教育は「そもそもそれが何か」という問いがあるため、大学の本質とは言い切れず、また大学院は専門教育の場であり、教養教育の場ではない(Pelikan, 1992)。
と言う事が出来ます。
(*ただし、各国における公(国)立大学の法人格は実は2000年代まで無い所も少なからずありました。日本でも2003年の国立大学法人法までは国立大学は文部省/文科省の一部でしたし。ヨーロッパも国際化と新自由主義的な改革の流れで法人化されて(Paradise, 2012)ますが、それ以前は無かったという。)

それでも「大学/大学院」に行く理由、「ある社会で、大学だけが持つ社会(法)制度上の機能」は『大学は卒業生に「学位授与(degree granting)」が出来る』事です。

日本だと以下二つが法的な基準ですが、国に応じて同様の、国の法律や「国が教育を州の権限としている」場合には州の法律、でこのような「大学とは何か」を定める法的根拠があります。(つまり究極的には国が後ろ盾になっている、という。)
学校教育法: https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000026_20200401_501AC0000000044&keyword=#Mp-At_104-Pr_4
学位規則:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=328M50000080009

「大学という分類の中が何でもありで、ピンからキリまで大学を名乗り、学位自体の価値はインフレしてる(寧ろ、大学という分類内での市場原理で決まる格の方が大事**)」の日本では、学位授与権とその価値はあまりピンと来ないかもしれませんが、「高等教育というシステム内で大学とそれ以外の教育機関とに分かれているタイプの国」(例:ドイツ系のUniversityとFachhochshule/Univeristy of Applied Scienceの分かれる国)、また従来は「大学と違う学位を出していた工業専門学校(Polytechnic)、師範学校(Normal School)が60−90年代に大学に『昇格した』国(例:イギリス本国やその影響の大きいやオーストラリア、カナダ)」国では、この(大学としての)学位授与権は法人としては重要な区分なわけです。(大学昇格した所では学生には関係無いですが、システム内で現在も分かれている所は今でもキャリアプランに差があるわけで。)
(**悪く言えば「大学とその学位の質保証が効いてない」、良く言えば「自分のレベルに応じて"大学"を選べる」という事を意味します。これだけで延々話を引っ張れますがここでは割愛。)

さてこの学位とは、雑に言うと「間接的に国に認められた、個別大学の卒業資格」、細かく言うと「ある国が基準を満たしたとして設置認可をした大学(という分類の法人)が、その大学の定めた所定の課程を修めて卒業・修了した学生に与える資格」の事です。

この「学位という本質(デジュリの、他の法人/制度には出来ない大学の機能による認証)が必要かどうか」は「大学/院に正規生として行くか」という問いに関わってきます。言い換えれば「それが不要で大学/院レベルの教育内容だけ得たい」のであれば、(課金の有無に関わらず)オンラインコース、学位は出ないサティフィケートコースでも良い、ということになります。

他方、将来的な移住や進学を考えているのであれば、「学位をどこの国の、どこの大学で取るか」は重要な問いになります。勿論これは無償の国も未だにあり、また同国内でも学費の差はあるので費用面にも関わってきますが、それよりも「その学位を取得するという事が、どういう効果を持つのか」という点で大きな差があるからです。

まず「どの国で」について、学位は究極的には国が後ろ盾になっている資格なので、「その国の学位を持っている」事は「その国で色々と制度的に優遇される」事になります。例えばカナダですと移民に関しては(※あくまで2020/12/28時点の参考情報です。)
・修士は1年以上2年未満のインテンシブプログラムでも3年就労許可が出る
https://www.canada.ca/en/immigration-refugees-citizenship/services/study-canada/work/after-graduation/about.html
・枠に対して学生が多いため競争率は高いが修士でもそのまま当該州居住前提の永住権は取れる(博士は少ない分取りやすいはず)
https://www.ontario.ca/page/oinp-masters-graduate-stream
・通常の移民でも国内の修士課程修了者はポイントが付く
等、移民受入国としてskilled immigrantたる修了者は制度的に露骨に優遇されます。不法入国をしてまで働きたい人が居る事を考えると、進学を通すとその国の就労許可が「その国の正規の制度を経られる外国人」という事で取れてしまう、というのは移住前提の場合には大きな優位と言えるでしょう。

ただこれは別の言い方をすれば「自国の学位制度を経た外国人を、自国の政策に基づいて扱う」ものであり、反対に「A国の学位はB国では(仮に知名度の高い大学であっても)他国の学位の一つ」でしかないため当然そこまでの制度上の優遇はありません。つまり「移住に関わってはその国で学位を取る」という事が修了後に関わる重要な選択である(そうでなければ同程度の教育と生活水準であれば差は小さい ※生活環境や文化は制度「外」の話なのでここでは触れない)ということです。
(※国際移動の場合の小さな利点として「ある英語圏の国で学位を取る/留学歴があると、別の英語圏の大学院で英語の試験が免除される場合がある」、というのはあります。)

後者の「どの大学で」という部分についてはその大学のある国の枠を超えた、国際市場での通用力、つまりは「ランキング」という話で、個人の頑張り、学び、成長という意味ではどこに行っても何かしら発生しますが、その先での労働市場や進学となると…やはり「"良い"所」に行った方が同じ最低限必要な労力と費用とを考えるとお得、という。自己満足としてのスキルアップ(と留学ブログで「ドヤァ」と言い、異国の自分写真を揚げる)が目的で済むならば、行く事で何かしらは得られるので良いのですが、「他人への実質に基づくハッタリ」に関わる大人のキャリアアップとなるとやはり…。(※ある大学に行く事で得られる、ネットワークは学位と違ってデファクトですが付随的機能なので此処では敢えて考慮していません。当然、重要な要素ではあります。)

もし、他国での学位取得が不要であれば、「日本の大学院に進学してその提携先に学期や年単位で留学する」という手段や、学位は欲しいけど直接行くのは不安というのであれば共同学位プログラム(日本側に入学し、1年留学の単位互換で相手先大学と日本の大学とを修了)という手もあります。いずれにせよ、自分が何がしたいのかが明確で無ければ、それに応じた具体的な制度で上手く対応する事は困難です。

まとめ
・大学は学位授与が出来る組織であり、それが出す学位の要不要が、正規/学位課程への進学に課金する上での本質的な問いである
・学位を「どの国のどの大学で取る」か、はその後の自分のプランに応じて重要さが変わってくる

「額面や時間等の見えるコスト」は同じでも、各々にどれだけの価値を置くかは個人差があるため、その当人しか分からない価値が見えない外野がどうのこうの言えるものではありません。ただ当人としても初の選択であれば、何を根拠に考えるかは難しいと思います。そのため判断基準としてまずは自分の大体の人生設計を置き、それに対して「制度的な本質(デジュルで得られるもの)」と「結果・実質的に付いてくる諸々(デファクトの利益)」とを分けて考え、それらが自分にとってどういう意味と価値を持ち、決断に見合うのか、を考えられるとよろしいかと思います。

Paradeise, C. (2012). Tools and implementation for a new governance of universities: Understanding variability between and within countries. In A. Curaj, P. Scott, L. Vlăsceanu, & L. Wilson (Eds.), European higher education at the crossroads: Between the Bologna process and national reforms. Springer.
Pelikan, J., & Newman, J. H. (1992). The idea of the university: A reexamination. Yale University Press.
Trow, M. A. (2006). Reflections on the transform from elite to mass to universal access: Forms and phases of higher education in modern societies since WWII. In J. J. F. Forest & P. G. Altbach (Eds.), International Handbook of Higher Education. Springer.

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