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記憶に残るひと 『散歩』


久しぶりに小説を読みました。


   『閉ざされた扉
    ホセ・ドノソ全短編』
    寺尾隆吉 訳 
    水声社

名作と呼ばれる小説が、心にいつまでも残るのは、物語の面白さや技巧によるところはもちろん大きいけれど、それよりもむしろ、読んでいたときの気持ちを憶えているからだと、どこかで読んだことがあります。
心に受けた衝撃、読んでいるあいだに感じたことを憶えているから、作品が永遠の輝きをもつのだと。

これには心当たりがあって、妙に納得しました。
あのとき感じた感覚を味わいたいと思うから、何度も読み返し、同じ作家の作品に期待するのでしょう。


今回初めて読んだチリの作家ホセ・ドノソ(1924-1996)も、わたしにとって、期待する作家のひとりになりました。


たとえば「散歩」はこんな話です。


「私」がまだ幼いうちに母が亡くなり、一家唯一の女性である独身のマティルデ叔母が、同居していたやはり独身で敏腕弁護士の叔父2人を伴って、広くがらんどうの我が家に移り住むことになった。何をやらせても抜かりないマティルデ叔母は、自分が結婚できないと見て取るや、家の男たちが快適に過ごせるよう気配りに徹し始め、ゆるぎない規律で兄弟たちの活動を支えた。

夕食後、マティルデ叔母は兄弟一人ひとりのベッドからカバーを外し、必要なものを取り揃える。寒がりのあの子にはベッドの足元にショール、寝る前に必ず読書をするあの子には枕元に羽のクッションを、と。

そんなある日、1匹の野良犬がびっこを引きながら家のなかに現れた。日曜日のミサへ行く途中に見た、危うく路面電車に轢かれそうになった小さな白い雌犬。身の回りが少しでも乱れていると居ても立っても居られない性分のマティルデ叔母は、犬が自分の支配下に入ってきたからには、自ら手を打つしかなかった。

彼女によってもたらされる完璧な世界にすっぽりと身をおさめていた兄弟たちには、犬を拒絶するより受け入れる方が都合がよかった。下手に口だしすれば重大な問題、おそらくは安定した生活の規範自体を見直すという不快な事態につながりかねないのだから。

その後も家にとどまりつづけた犬とマティルデ叔母とのあいだにできた絆は、今や彼女の人生にとってのすべてのようだった。事態の成り行きを前に、3人兄弟は恐怖に震えて思考停止に陥った。静かに瓦解していくのを前に、何も見ない、何も話さない、事態を気にしない、そうすれば、迫りくる何かを止められるかもしれない、とでもいうように。そして……


この短編集には、スペイン語圏現代小説の旗手オラシオ・カステジャーノス・モヤの序文が掲載されています。そのなかに、「ドノソの手腕がとりわけ見事に発揮されているのは、多岐にわたる声と話し方の再現や、多様な階層と年齢にまたがる登場人物の内面を再現する際の鋭い心理学的洞察」とあります。
ドノソ本人の日記にも、「私が得意とするのは、生き生きとした劇的登場人物を作り上げ、そこに息吹と活力を吹き込むことだ。」とあります。

ドノソの小説は、登場人物たちが息づいています。14の短編がありますが、どれもいろいろな感情を引き出してくれます。そこには、たしかに人間がいる、と思わせてくれます。それこそが、名作と呼ばれる所以ゆえんの面白さだろうなと思います。
これだから、小説はやめられません。


たくさんの方に読んでいただいたこと、たくさんの素敵な記事に出会えたこと、心から感謝しています。ありがとうございます。
来年も、どうぞよろしくお願いします。

✴︎

ところで、6人を介せば世界中の誰とでもつながることができるといいます。いわゆる「6次の隔たり」です。6ステップで世界。それなら、自分の大切に想う人たちが日々大切にしている人たち、その大切な人たち、またその大切な人たち…と数珠つなぎに想いを馳せ、その幸せを願うことで、世界は平和に近づくのではないか…と、最初にこの話を聞いたときから、わりと本気で思っています。

何ももたないわたしは、いまはただ祈ることしかできませんが、新しい年に願いを込めて、ストレートに。

あなたとあなたの大切な人を含めた
世界中のすべての人と動物が
どうか幸せでありますように

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