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81億人分の1の人生。

こんばんは!咲坂はなです☺︎

今さっき調べたんですけど世界人口約81億人だそうです。知らんけど。

その中の1人として今日まで生きている私。
人生をちょこっと紹介。



私は4人家族の次女として産まれました。
母は高齢出産で何度か流産をしたものの8年かけ私を産んでくれました。
40過ぎでの出産だったので大変だったと言っていました。
母は田舎育ちでありながらも地元では有名な高校に通い婦人警察官でした。
のちに都会出身大学出の父とお見合い結婚をしました。

両親のイメージは、父がやたら優しく母はとにかく厳しかったです。
8つ離れた姉は優秀で成績も良かったのでそれを望んでたんでしょうけど、これがまた妹はびっくりするぐらい馬鹿でしていつも母に怒られていました。
怒られては父の元へ行き甘やかしてもらっていました。

私が小学校2年生の時悲劇が突如訪れました。
父が交通事故にあいました。
頭を強く打ったらしく病院で見た父の姿は痛々しく見るに堪えないものでした。

どうして事故が起きたのか未だに知りません。
何があったんでしょうね👐

ここから"家族"というものが壊れていきました。
頭を強く打ったことにより性格が一変してしまい今までの父はどこにもいません。

退院してからは、辛うじて歩けるもののほぼ寝たきり状態で気性も荒くなり家や母に暴力を振るうようになりました。
微かな記憶の中で覚えているのは、
夜中に暴れだしテレビなども倒し罵声が響く中でした。そんな父から守るように母が抱きしめてくれたこと。

そんな日々が1年過ぎた頃、両親が離婚。
母と姉と3人で引っ越すことに。
そこから父がどうなったか高校生になるまで知らされませんでした。

今でこそ離婚は特別なことではないと言われていますよね。
日本の3組に1組は離婚をしているとかないとか。

離婚してから1年後、また悲劇が起こります。
母がステージ4の癌を患いました。
手術をしたものの完治は出来ず、緩和ケアの病院に移り入退院を繰り返し過ごしていました。

私が小学校を卒業する前日に母から、
「卒業式行けない、ごめんね。」と。
離婚してから小学生ながらも"わがまま"をあまり言わない、言えない性格になっていましたがその台詞を聞きすぐに「嫌だ」と。即答したのを覚えています。
結局卒業式には来れず、周りは家族総出できていたのを横目になんだか恥ずかしい思いをしました。

母の病状は悪化の傾向を辿り、中学1年生の入学式から1週間後亡くなりました。
最後の力を振り絞ってくれたのか中学の入学式は来てくれました。
その時は元気そうに見えたけどやっぱり癌には勝てなかったみたい。

亡くなる直前病院で親戚が集まった中、母の弟である叔父が一言私に言いました。
「はなが20歳になるまで生きられへんけどお姉ちゃんと2人で頑張るんやで」と。

もう母は死ぬ。
そう決定付けられたかのようで悔しかった。
だけどそれと同時に強くなろうとも思った。
まだ中学生。出来ることは限られてくるけど、涙は見せないように辛抱強くなろうと。

母の心臓が止まり皆が泣いている中私は痛いぐらい歯を食いしばりました。

母の声をもう聞くことはできないけど、この事実がどこが私を強くしてくれると信じて生きようと思いました。

時が経ち高校生になった頃、父の容態が急変したと父の弟さんから連絡がありました。
急いで病院に行き、数十年ぶりに父と再開。
管がいっぱい繋がれていて痩せ細っていました。
病院の先生に、意識が朦朧としているので今なら声届くと思います。と言われ父の手を握り、
「はなやで!お父さんわかる?よく頑張ったね
。会えなくてごめんね。」と言うと、
握っていた手が動き握り返してくれました。
その数分後心臓が鼓動せず亡くなりました。

父の葬式は母とは違い規模は小さく花もなく本当にこれがお別れの会なのか?という状況でした。
父方の両親は性格が悪く、父が事故をして面倒を見るのは当たり前だ!お前が悪い!など母を虐げていたので私はシンプルに嫌いでした。
母が病気になったのもこれが原因じゃね?って今でも思うし腹立たしいです。

こうして両親を失った私。
姉とずっと2人で生きてきました。
私が大学生になり一人暮らしを始めました。
なぜ始めたかというと姉がずーっと長年付き合ってる彼氏の元へ行くからです。
本当はもっと早くに行きたかっただろうに私が高校生だったから行けなかったんです。

当時姉が社会人一年目ぐらいだった頃、私の進路の事も考えてくれたり周りと差がつかないように旅行に連れてってくれたりもしました。
絶対しんどい思いをしていたのに....
両親を亡くして、幼い妹を育てないといけないプレッシャーが計り知れないと思います。
そんな辛いことはありましたが、そのせいもあって今はとびきりに幸せみたいです(  ´˘`  )
優良な旦那さんに2人の子供。
絵に書いたような満足すぎる人生を歩んでいます!だからこそ、姉に迷惑はかけられないし悟られてもいけないと思うようになりました。

時がまた経ち、私は社会人になりました。
大学時代は高校の友達に羨ましがられ程楽しんでいた陽キャだったみたいです笑

コロナ時代になり仕事が上手くいかなくなり、頻繁に病むようになりました。
不意になんで両親いないんだろう、とか生きるのしんどいなぁと。
この頃から不眠症になり髪の毛を大量に抜くようになりました。
クリニックに電話してみると、なんと鬱診断。
次の日から会社を休み1年半休職しました。

もっと早い段階で誰かに相談していれば変わっていたかもしれないけど、母が死んだ日に決めた"辛抱強く"が仇となりました。

休職した事と経緯をしぶしぶ姉に話すと泣かれてしまいました。
隠してたんですけど、嘘がおかしくなってきて全部話したんです。
あの時は悲しいことさせちゃったな~

今はだいぶ良くなり不眠症が完全に治ったわけじゃないけど髪の毛抜く行動はなくなりましたし生えてきました😊
適度に友達と会って話をしているしnoteのおかげで言いたいことも言えてるのでご安心を!

両親がいないことを今でも「なんでだろう」って思うことがあります。
賃貸の保証人とかね笑
やっぱりね、両親いないって面倒臭いです。
今だからこんなキャッチーに話せますけどね笑

なんやかんやこうして生きています。

お母さん産んでくれてありがとう。
あたなの分までとりあえず生きてみるので、人生の内容まで査定しないでください!
お父さんあんまり記憶ないけど、カービィのカセット買ってくれてありがとう!
行きてたら買い物に連れ回したかった!
天国にショッピングモールあるか知らんけど待ってて!

今、伝えたいことです🫡

人生書き出すとえぐい文字数ですね。
分けて書けばよかったかなぁ
ごめんなさい。
逆に最後まで読んでくれた勇者様ありがとうございます🙇‍♀️

ではまた👋

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