藤井聡太七冠、叡王失冠

今年の名人戦の第一局後、藤井八冠(当時)に勝つには数学的思考が必要であると書いた。

そして、多少の好不調はあれどタイトルを失冠することはなかなかないのではないかとも考えていた。

しかし、こうも早くに失冠することになるのは予想していなかった。

叡王戦においての藤井七冠の戦いぶりは、終盤におけるミスが多かったように思う。もちろん、そのミスを逃さず最後まできっちりと勝ち切る伊藤新叡王も強い。


さて、自分としては将棋というゲームに対して、それが数学的であるか文系的であるかという視点で見ている。

将棋自体は数学的なゲームであり、特に終盤において数学的思考が要求されるという考えは変わらない。

そこで叡王戦第5局を見ると、ポイントになったのは105手目に3四金を打てなかったことと、131手目の6四桂打だろう。

藤井七冠がこの二つの手に対してどのように考え、何とコメントしているかは知らないが、個人的に後者はミス。人間である部分が出たように思う。

一方、前者は数学的思考の弱点ではないかと考える。

どういうことか。

数学的思考には完璧主義のような側面がある。
もし3四金のあとの指し手が十分に読み切れない場合、その手を指すことを躊躇ってしまう。そのため、悪くても先の手を読める指し手を選択するだろう。

この105手目に3四金を指せずに、6六銀としたあとも、ソフトの最善手は3四金であった。この時も長考していることから、どちらも3四金について考えていたのではないだろうか。

しかし結局、藤井七冠は9割以上読めなかったため、3四金を指すことができなかった。

よく、長考後の手は悪手と言われるが、そのことがよく表れている。

もし、これが文系的思考であれば8割くらいの読みでも指していたのではないだろうか。

あくまで個人的推測なので間違っている可能性もあるが、藤井七冠が数学的思考の方が強いという点は間違っていないと思う。


一方で、伊藤叡王は文系的思考の方が強い。

その理由はノータイムで指すときの違いでわかる。
永瀬拓矢九段にもよく見られるのだが、ノータイムで指すとき、相手が指した後、間髪を入れずに指すことが多い。これは文系的思考の強い人の特徴である。

なぜこれが文系的思考が強い人の特徴かと言うと、一般人で言えば、例えば、朝出かけるギリギリまで寝てるとか、電車にギリギリでも間に合いそうならダッシュするとか、一日に予定をたくさん詰め込むとか、とにかく、1秒でも無駄にしたくないというのが文系的思考の特徴のひとつだからである。

一方、藤井七冠の場合はノータイムで指すときも一呼吸入れてから指すことが多い。このことから、理系的思考の方が強いということがわかる。


叡王を失冠したとはいえ、今後もまだまだ将棋界は藤井七冠を中心に進んでいくだろうとは思う。

個人的には文系的思考と数学的思考の戦いに注目したい。

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