親友の話

前回どちらかというと好きでない人の話をしたので、今回は私の親友について書くことにする。
私と親友は、高校生の時出会った。最初は特に印象はなく、無垢な人だなというだけだった。向こうから話しかけてくれることが多く、それでだんだん話すようになった。

彼女は運がない。多分周りを気にしすぎて、自分を出せないことが多いからだと思う。よく人に翻弄されている。
私は逆だから、彼女を見ていると、何でそうなるんだ?と思うことはたくさんある。最初はあまり理解できなかった。今でも理解できてないかもしれない。テストの点数で誤採点されても、へらへら笑って何もしない。そんな人だ。

でも、彼女は私が今まで出会ってきた中で、ダントツで信頼できる。彼女は人に翻弄されるのに、人の悪口を言わない。(愚痴は言うけど)それに、反射でものを言わない。悪口を言わないというのと関連していると思う。
反射でものを言わないというのは、結構難しいことだと思う。多くの人は反射でものを言う。不快に感じた時、とりあえず人に当たったり、悩みに正論をぶつけたり、自分の話をしたいがために、相手の会話を利用したり。要するに、話を聞いているようで聞いていない。よく聞くと会話が成り立っていない。そういうことが、彼女との会話では少ない。
それから、悪意が少ない。人間だし心の中では色々考えているのかもしれないけれど、会話に悪意が現れることが少ない。何でこの人、こんなに人間的に綺麗なんだろうと思う。全然ひねくれていない。

もちろん彼女も完ぺきではない。病院が嫌いとか、自分が損なことを引き受ければそれでいいと思いがちな所とか、よく分からない所で頑固なところとかは、どうなんだ?と思うことはある。(反射で生きている人は、彼女のこういう点が受け入れられない場合が多い)
でも、とにかく信頼できる点で彼女はダントツで、本当に人間ができてると思う。あまり詳しくは分からないが、家庭のことで少し苦労してそうな感じもする。それでもまっすぐ生きていて、彼女と接していると、本当に強い人はこういう人なのかなと思う。
そんな人間と出会えて、私は本当に運がよかったと思う。とても良い出会いをしたと言える。もし彼女に何か裏切られることがあったとしても、ショックは受けつつ、多分受け入れると思う。それで彼女が幸せになるのなら、それでよいと思うし、何かしら理由があったのだと考えるだろう。それでもいいと考えられるくらい、彼女との出会いは尊かった。

ただ、親友のような人間は、この社会から淘汰されやすい。いい人間であることは、この世界で生きていくための絶対条件ではない。彼女は何度も傷ついただろうし、涙しただろうと思う。人から舐められやすいし、不満を人にぶつけることが得意ではないから。
だから、私は彼女のような人間が報われる世界を、心の底から望んでいる。私は大学院で経済について研究しているが、世界の不条理を考えるたびに、彼女の像が頭をちらつく。彼女のために研究しているわけではないが、原動力の一つではある。

前回、人生から追い出した友人とのエピソードを、失恋に例えた。それに則るならば、親友とのエピソードは、片思いとか、愛とかなのかもしれない。私が男だったら、彼女にプロポーズしていたかもしれない。彼女に結婚のつもりがなければ、2人で住もうと持ち掛けたかもしれない。生まれ変わっても彼女とは出会いたい。そんな存在である。


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